Title: 【出産報告】 37週9トミソリー横隔膜ヘルニア誕生死後の 出産報告
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生理不順のため、妊娠に気づいてあげるのが遅かった。なのでとても心配だった。 お腹が張ったり強い痛みがあったりしていた。「お腹が張ると赤ちゃんが成長出来ないから、安静に過ごしてください。」と言われるだけで赤ちゃんは特に問題ないと言われていた。 胎動も上の子の時よりもあまり感じられなかった。小さいからだと言われた。 34週の時に、旦那が一緒に診察に来てくれた。「特に問題ない。安静に過ごしてください。」といつものように診察が終わろうとした。 旦那が「このまま小さく産まれたらどんなリスクがありますか?」と質問してくれたら、赤ちゃんが元気か診てくれた。 赤ちゃんはあまり動かなかった。 「特に問題ないと思うけど、念のために市民病院に紹介状書くので行ってください。」と言われた。 市民病院に受診したら、赤ちゃんが横隔膜ヘルニアであることがわかった。 横隔膜ヘルニアで肺が潰れてしまっているので、このまま産まれて来ても呼吸が出来ないので手術をしなくてはいけない。 市民病院では横隔膜ヘルニアの手術が出来ないので、別の病院を紹介してくださった。 でも、横隔膜ヘルニアが重症であること、赤ちゃんがとても小さいため手術に耐えられないので、そこの病院でも手術が出来ない。と言われてしまった。
市民病院でまた別の病院を紹介して下さると言ってくださったけど、赤ちゃんが元気か診察してくださった時に、赤ちゃんの成長が止まっていてとても苦しそうで、命が1週間もつかわからないので、この状態では別の病院を紹介することは出来ないと言われてしまった。 死産を覚悟した。小さくてなかなか感じられない胎動に必死で耳を傾けた。
1週間後の診察覚悟を決めて病院に行った。 でも、赤ちゃんは思っていたよりは大丈夫だった。 その日の夜、少しお腹が頻繁に痛い!?もしかして陣痛!?陣痛だった。 私は出産したらお別れしないといけないと思うと、このまままだお腹にいて欲しい。お別れしたくない。陣痛の痛みに耐えられなかった。なげやりに「イヤ、イヤ。痛い、痛い」と叫んでいた。 それでも息子が頑張ってくれたら。1週間もつかと言われてしまっていたのに、自分で産まれまいと思ってくれて、無事に産まれて来てくれた。産声を聞くことは出来なかったけど、確かに私の胸の上で動いてくれた。悲しみより、頑張って生きて産まれて来てくれた息子がとても誇りに思えた。 染色体の検査をしたら、9トミソリーによる横隔膜ヘルニアだった。 今度は絶対に無事に赤ちゃんを産んであげたい。もう一度赤ちゃんを生きて抱き締めたいと思った。
でもやっぱり不安も大きかった。 妊娠に気づいた時は不安よりも嬉しさがかった。 出来るだけマイナスな事を考えないようにしてた。 予定日になっても産まれる予兆がなくて不安になった。促進剤を使うと言う話が出ていたけど、 40週3日に無事に産まれて来てくれました。
予定日過ぎても産まれなくて不安になったけど、改めて自分で産まれまいと思って産まれて来てくれた息子が私達に会いたいと思って産まれて来てくれたんだって思えた。息子の頑張りを感じる事が出来た。いっぱい奇跡をありがとう。
流産や死産や誕生死など経験された方々は悲しみや不安を抱えていらっしゃると思います。息子が頑張ってくれたお陰で私は前向きに過ごすことが出来ましたが、悲しい気持ちになった時にポコズママの会を知り、同じような悲しみを抱えている方がいること知って、自分だけではないんだ。と励まされました。 特に天使ママの妊娠出産報告は希望を持つことが出来ました。 私の報告が誰かの希望になりますように。
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