Title: 【出産報告】 38週 子宮内胎児死亡後の出産
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2014年6月1日に38週5日で、第一子の男の子をお空に返しました。 原因不明の子宮内胎児死亡でした。
ちょうど1年後の、6月1日に第二子となる女の子を出産しました。 37週ギリギリでの正期産。 体重も低体重児を避けるギリギリ2,501g。 ただの偶然ではなく、本人が選んだ日に生まれてきたと信じています。
出産の前日、胎動が無い気がして、「念の為」病院に連絡しました。 雑誌やネットでは出産が近付くと胎動が減ると書かれていたので「気のせい。心配しすぎ。病院で笑われちゃうかな」と思いながら。 すぐに来院するよう言われ、病院でドップラーを当てました。 つい4日前まで元気に心音を聞かせてくれていたのに、臍帯音もなく静寂。 胸騒ぎと現実感の無さに息がつまりました。 機械を変えてもやはり無音。 夢で有って欲しい、何かの間違い・・・現実の情報を脳が処理してくれませんでした。 急いで駆けつけた先生もエコーを確認し、私に告げました。 「今回は残念ながら…。赤ちゃんが心臓を動かすのを止めちゃったみたいです」 一気に涙が溢れました。信じられませんでした。 何で?何で?何かの間違いじゃないの? 受け入れられない気持ちがある反面、無音のドップラーとエコー画像で動かない心臓を見た絶望が息苦しかったです。 帰宅途中もお腹を触り、刺激し、何とか胎動が再開するよう祈り続けていました。 でも自発的な元気すぎるあのキックを感じることはありませんでした。 もう正産期だったので、経膣分娩で息子を産み出してあげました。出て来たら生きているかも知れない、そんな一縷の望みを掛けていましたが、現実はそんな奇跡を起こしてはくれませんでした。
後日、赤ちゃんのCTスキャン、胎盤の病理解剖でも何ら原因は見つかりませんでした。
その後、妊娠中の自分の生活を振り返り自分を責め続け、ストレスから目が見えなくなった時期も有りました。 病院に対しても「県から総合周産期母子医療センターの指定を受けているような病院なのに」「毎回診てくれる先生が違ってたから、無責任なんだ」等々、責める気持ちが大きくなっていた時もありました。
それでも自分の年齢を考えると子供は早く作らなければ…という気持ちもありました。 次の妊娠を考える自分の薄情さに自己嫌悪を感じたり、それでも息子にお空から帰って来て欲しい、と前に進もうとしたり揺れました。 こちらのページで同じ経験をされている方の報告を見て何度励まされたことか。
結局、第一子の時の病院と違う小さな産婦人科クリニックで相談を重ね、また赤ちゃんを迎えたいと思うようになりました。 次の妊娠が分かっても、息子を想って泣いてしまったり、精神的に不安定な日は続きましたが。
私と同じ経験をされて、すがるような気持ちで読んでいらっしゃる天使ママさん、どうか希望を捨てないでください。 前に進むのは、一度お別れした天使ちゃんに逢うためなんです。 私達の第二子は性別は違っていて、第一子の時の記憶が無くても、魂は同じだと思っています。 私達夫婦の元に産まれると決まっていた赤ちゃんなんだと思います。 前回はお腹から外に出る勇気がなかったのかも知れない。 だからうちの子は外の世界に出るのに他の子の2倍掛かっただけかもしれない。 それがうちの子なんだ。 そう思ってます。
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