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Name: 田舎の住職
Date: 2022/12/24(土) 18:56
No:1996
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Title: 田舎の寺の次の後継者について(天台宗寺院になります)
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30代独身で田舎の寺の住職をしております。 長男で親から言われるまま、継いだのですが、来る日も来る日も付近のおかしな檀家との付き合いが、自分にとってかなり負担になっており、寺なんかやめとけばよかったと、後悔しかありません。 はっきりいって私の性格では他人と関わるのも、檀家を弔うのも無理だったようです。
元々コミュニケーションが苦手で、他人と関わるのが昔から嫌なのですが、生活できるならと軽い気持ちで当時20代だった私は深くも考えず比叡山へ修行へ行き、住職となって十数年が立ちます。
近所中がほとんど昔からの檀家らしく、関りたくもない田舎の近所付き合いが必須で、中には変なのがわんさかいて、結婚しないのかとか、誰か紹介するとかプライベートなことまでいちいち口を出されたり、いきなり寺のドアを開けてずかずか入ってきたり、夜遅くに電話を平気でかけてくるわ、電話もなしに急に来といていねえのかと、とにかく相手をするだけでものすごい面倒なことが多すぎて、常にストレスだらけです。
葬儀が入ればおまえに金など払いたくないといった者や、払っても嫌な顔をしてお前の寺に墓があるから仕方なく・・・という檀家ばかりで、やってるこっちも何のために毎日やってるのか・・・、ただ檀家から葬儀のたび恨みかって、生きていくための生活費を稼いでるだけなのだと、すっかりやる気がなくなりました。
葬儀以外の日は掃除くらいでほとんどやることがなく、ただ檀家が死ぬのを一日寺にいて待っている状態です。
ほとんど関わるのは高齢者相手ですので、寺と言う隔離された空間に一日中いては、連絡が入れば今から来いと急に臨終経に呼ばれたりとそれだけの毎日です。
葬儀では会ったこともない連中がたくさん来る中、圧迫されるような空間でお経を唱え、緊張で声はあまり出ず震え、そのたび精神を病みます。
はっきりいってこれから当面やっていける気がしません。 まだ親の住職も存命なのでいろいろと聞きながらやってはいますが、今後やりたくもない寺の仕事を押し付けられたような状態で、関りたくないような檀家相手にやっていくと思うと不安しか見えません。 親もこれから老いていき、介護も来ます。金はあるので、何かあれば老人ホームに預ける予定です。
檀家数は400前後おり、寺だけで生活が可能です。 ただ、一部近所の住職が死亡後、やり手のいない寺院を代務してやっております。 親と私が生きている間に心底やる気のある全くの他人でいいので、後継を迎えたいと思ってますが、こういった場合、来るのでしょうか? きてくれるなら私は寺の給料はいらなく、無給でいいのでその分、次の住職に出してほしいと思ってます。 一応その年の葬儀などにもよりますが、年間の収入としては1000〜2000万近くはあります。
私は15で高校をやめてから寺に入るまでは社会人をしてましたので、個人の貯金も前の仕事や寺からの給料を合わせると4000万近くあり、この年代ですでに老後の貯蓄は問題ないと思ってます。 後継がきたあとは寺に入ってもらい、私は住職を辞めて、離れたところに築数十年クラスの平屋でも中古で買って、檀家が一切入ってこない無縁の静かな環境で残りの人生をゆっくり過ごしたいと、そう思っております。
私の独断で勝手なことはできないので、付近の責任役の住職と檀家総代に事情を説明して、後継が見つかった後は、私は寺を出たいと思ってます。 それか、近所の寺が代務みたいな形になるのでしょうか?
今後どのようにもっていけばいいのか、最近いろいろと先を考えてしまい、夜もろくに眠れない日々が続いております。
寺の事情に詳しい方、すでに住職をなさっている方など、何かアドバイスをいただけないでしょうか? よろしくお願い致します。
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Name: 高野聖
Date: 2022/12/24(土) 23:53
No:1997
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Title: Re:田舎の寺の次の後継者について(天台宗寺院になります)
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こんにちは!真言宗の僧侶ですが意見させて下さい。 苦労が絶えず、本来の目的を見失っておられるようですね。 私としては、羨ましい限りです。あなたにとって、仏教とはなんですか? 私自身、在家より僧侶になった身分ですが、現在の所お寺はありません。知人のツテでお寺の仕事をしたり、介護福祉の仕事をしたりしながら経験とお寺を建てる資金を貯めつつ、余暇で少しでも悩み苦しむ人を助ける活動をしたりと大忙しです。 確かに葬儀や法事というのは、直接収入になるので僧侶の仕事なのでしょうが、私はむしろ直接収入にならない布施行の方がずっと大事と思っています。 お寺を建てたら、葬儀や法事などのお参りにいかない日を作って、奉仕活動をして行きます。既にやっている余暇活動ですが、ノルディックウォーキングの体験会を主催し、健康を促進し、寺社仏閣へ案内し日本文化から仏教に触れて貰う。つまり布教へ繋がる活動です。 あなたにとって、仏教とは何ですか? お寺とはどんな所ですか? 僧侶の生き方とはなんでしょう? あなたが経営者であるなら、活動の方針そのものを変える事だってできるはずです。
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Name: 在家の野ぎつね
Date: 2023/01/22(日) 07:35
No:2009
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Title: Re:田舎の寺の次の後継者について(天台宗寺院になります)
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僧侶ではないですが、かつて出家を志したことがあります。 菩提心などなかったです。 ただただ煩悩に苛まれて、生きづらくてかといって死ぬような勇気もなく、 出家して仏の教えを修めればなにか分かるのではないか? ただそれだけでした。
あなた様は今の寺で生まれて育ったのですよね? であれば、師である父上の苦労も間近で見てきたのではないですか。
寺の住職が、どんなものかあなたは知っていたでしょう。 特に田舎はプライベートなどない傾向が強いのもね。 檀家はあまりにも気軽に朝早くから夜遅くまで訪ねてきたり電話が来たり。
若輩のうちは縁談の心配もされ、お叱りを受けることも多いでしょう。 (しかも、自分達の失礼や配慮のなさを棚にあげて指摘されます)
そのあたりが流せないなら、たぶん田舎の住職はムリです。
逆に、今までよくお務めされてきたと思います。 そこはほんとうに大変だったでしょうね。
誰でも向き不向きがある。努力である程度はできても、 ここから先はどうしても分からないとか、 納得できないとか慣れないということがある。 田舎のお寺にありがちなことが、あなたには15年やっていてもどうしても 流せないでいらっしゃる。
私も、大勢と付き合うのは苦手で、400件の檀家と付き合うのはたぶんムリです。
おそらく檀家との関係もうまくいってないでしょう。 あからさまに嫌みを言われるほどに、檀家との溝ができている。
うちの本家の菩提寺がそうでしたが、社交的でカリスマ性のあった先代に比べられて 大人しい数学教師だった息子は、跡を継いでから亡くなるまで 一生涯陰口を叩かれていました。 やはり田舎の檀家400ほどの歴史ある寺でした。 少しでもしきたりを違えると、もう何年も陰口を言われるようなお土地柄です。 本家に盆と正月にいくと必ず若住職の悪口を聞かされました。 自分は信教の自由の時代にそんなに寺が嫌なら檀家をやめりゃ良いじゃねえかと 僕は思ってましたが。
若住職は、年々気難しく尊大になってゆきましたし それでまた余計に陰口を叩かれていました。
あなたはまだお若いし、もう自分には向いてないとわかったのですから、 これ以上無理しては行けません。
元々寺の住職なんて明治までは本山が任命して赴任してきていたように、 今も住職が跡継ぎがないとか退任したら、本山が適任者を連れてきます。
自分で探さなくてもいいはずです。
うちの本家の菩提寺も若住職は早死にして、孫は継ぎたがらず、 本山から向いてそうな若い人が赴任してきました。
結局は寺だって今は中小企業の社長と変わりませんから ある意味檀家規模に応じた経営手腕や人望が要ります。
長男だから継がせるという簡単な話ではないのに、 世襲制になってからそのあたりがおかしくなっています。
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