Title: 【出産報告】22週 死産後の出産
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今日、娘の16回目の命日です。 16年前、長男が2歳の時、念願の女の子を授かりました。 3歳になった長男の保育園の送り迎え、自営業で毎日仕事と慌ただしい日々でしたが、当然、無事に産まれてくると思っていました。22週に入った3月31日の夕方、ふと胎動が無いことに気が付きました。 次の日、休日の産婦人科に連絡して急遽診察をしてもらいました。長男の時に切迫早産で1ヶ月入院していた為、先生も看護師さんも良く知っている方々でした。 仲良しだったベテランの看護師さんが心音を確認してくれました。 何度も何度もお腹の場所を変えながら試してくれたけど、いつも聞こえてきた「トクトクトク…」と、いう元気な音は響きませんでした。
その後、ベテランのおばあちゃん先生がエコーで確認してくれました。 お腹の中で足が伸びきっている姿が画面に映ると、先生は目に涙を浮かべ「亡くなっている可能性があります」と、辛そうに話してくれました。 受け入れられず泣き崩れる主人と私の為に、他の2人の先生にも診察していただけるように手配してくださりました。 3人の先生方から亡くなっている事実を告げられ、そのまま入院しました。原因は不明との事でした。
翌日にはお腹から出す予定でした。 でも、この急な現実を心も体も受け入れられず、持病の喘息の発作がおきてしまい、出産予定を延期していただきました。 翌日の4月3日、陣痛促進剤を使い、小さな小さな赤ちゃんを産みました。 元気な産声も「おめでとうございます」のお祝いの声も無い、静かな静かなお産でした。 その後助産師さんが赤ちゃんに白装束を着せてくれました。 小さな手を合わせて目を閉じた赤ちゃんをこの手に抱いた時不思議と涙はでませんでした。 もしかしたらもう2度と見る事のできない娘の顔を1秒でも長く見ていたかったのかもしれません。
出産を終えて個室で1人泣いている私の所におばあちゃん先生が来てくれました。 そして「お腹で亡くなった子は天使なのよ。必ずまたあなたの所に帰ってきてくれますよ」と、言ってくれました。 絶望の中にいた私に小さな光が差した瞬間でした。 病院から火葬場に向かった赤ちゃんは小さな骨壷に入って帰ってきました。 四十九日のときに、お墓に納骨しました。その後、赤ちゃんのへその緒とエコー写真を小さな籠に入れ毎日お水をあげました。 沢山の玩具とぬいぐるみを供え、悲しみに明け暮れました。 せっかく私達の所に来てくれたのに、なぜ亡くなってしまったのか。自分を責め、人の赤ちゃんを見る度に泣く日々の中、あの日のおばあちゃん先生の言葉だけが心の支えでした。
でも、何年経っても赤ちゃんは授かりませんでした。 もう、ダメなのかもしれない。 諦めかけていた、赤ちゃんが亡くなってから7年目の夏、長男が小学5年生の時、やっとやっと授かることができました。 どれだけ嬉しかったかわかりません。 すぐに病院に行って、あのおばあちゃん先生に報告をしようと思いました。 あの日のあの言葉にどれ程救われたかわかりたせん。 先生には感謝の気持ちでいっぱいです。 ところが、少し前に先生はなくなっていました。 報告が出来ず残念でしたが、今回こそは無事に産みたいと仕事もセーブしました。
そして、赤ちゃんが亡くなってから8年目の3月31日、無事に女の子が誕生しました。 8年前お腹の中で赤ちゃんが亡くなった日と同じ日に産まれてきた娘。 おばあちゃん先生のおっしゃった通り生まれ変わり帰ってきてくれたんだと思いました。
その娘は去年、7歳の夏休みに【骨腫瘍】が見つかり手術をしました。幸い悪性ではなく手術の経過も良好で今は普通に生活出来るようになりました。 娘は亡くなった赤ちゃんの分まで生きる!しっかり生きる! 何度も何時もそう自分に言い聞かせ看病しました。 娘の病気で辛い時も赤ちゃんが励まし守ってくれていたのです。 亡くなってしまったけれど、今でも大切な家族です。
娘の闘病を経た今だからこそ、16年経った私の経験が少しでも皆様のお役に立てたらと思い投稿させていただきました。 ここまで読んでくださりありがとうございました。 どうか、皆様お体大切に。
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