アイヌ語で老翁のことを「エカシ」というが、北斗は主に「イカシ」を使う。
これは「余市方言」であると思っていたが、本当にそうなのか?という疑問があって、いろいろ調べてみた。
北斗がイカシを使っているのは
小樽新聞「フゴッペ」「わが家名」では 「オソツ(ヲ)クイカシ」「ヌプルランイカシ」を使用 →死後の「コタン」では「エカシ」に直されている。
「烏と翁(パシクルとイカシ)」 は初出「子供の道話」では「イカシ」 コタン掲載の小樽新聞版も「イカシ」
「郷土の伝説 死んでからの魂の生活」 これは初出「子供の道話」では「イカシ」。 コタン掲載時は「エカシ」になっている。
東京時代のノートには「エカシ」とあるのですが、これは東京時代のものですので、東京の学者の本を読んだりして、影響が あったのかもしれないと思っています。
それから、これは北斗の筆になるものではないですが、北斗の死後、昭和5年 の北海タイムスの記事で、兄の梅太郎への取材ですが、 オタルナイのザンザラケップから海の神の怒りを買って村を滅ぼされ、小舟に 乗って漂流したという違星家の祖先を「コタンパイガシ」と書いています。
このように、北斗は主に「イカシ」を使用し、 新聞雑誌ではそのまま「イカシ」なのが、 「コタン」掲載時に「エカシ」に直されるという流れがあるように思います。
「小樽教育地図研究会」が2010年に出した 『小樽・余市アイヌ語の研究―後志・日本海側地方への試み』 (編者・岩井真澄、大関洋平、並木翔太郎)という研究書(小冊子)
で、小樽・余市の江戸時代の通詞の語彙集を集めた資料がありまして、
A「蝦夷言葉集」 B「イロハ番付阿異野事葉」 C「蝦夷西場所アイヌ語事典」
の3つの通詞の語彙集の語彙を集めていまして、その中に、当時のアイヌの通 詞が使った語彙として、
A では「祖父 イカシ」 B では「祖父 イカシ」 C では「祖父 イカミ」(写し間違い)
となっているのを確認しました。 いずれも、北斗の時代に関係なく、江戸時代の通詞が「イカシ」と聞き取り、 話していたと判断できるので、これをもって、 「イカシ」は余市(後志)方言としても問題ないのではないかと思いました。
(ただし、3つの資料は共通の文書から派生したものではないかということらし いので、そのへんはエビデンスとしては弱いのかもしれませんが)。
「イカシ」が江戸時代より余市アイヌによって話されていたの が、和人の通詞にはそう聞こえた、ということだと思いますが、 それは、エ/イ音どちらとも取れる発音だったのかもしれないですが、教育を 受けた北斗や梅太郎なんかが「イ」を選んで書いているのですが、 とはいえ、北斗や余市アイヌは
イボシ=エボシ タキジロウ=タケジロウ イサン=エサン
と、「い」「え」の混同がみられるのは地元の郷土史家の方にも確認したことがあります。
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管理人 ++.. 2021/06/19(土) 05:39 [682] |
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