さて、新発見の手紙、3通目です。 週末しか更新の時間がとれないので、なかなか先にすすめませんが、ご勘弁ください。
昭和3年6月20日の消印。 余市大川町違星北斗から杉並町成宗の金田一京助への手紙です。 この手紙は、ちょっと、扱いに困ります。内容がプライベートすぎるといいますか、梅子さんという女性についての記述や、余市コタン内での人間関係に関する記述が多いので、それらについてはおおまかな概略だけのべて、引用はしないことにします。
東京の思出が それから それへと なつかしい日です。 静かな雨が降ってゐます。北海道はお節句 と云ふので となり近所はドッシンドッシンと米を ついてゐる きねの音が平和に ひゞいてゐます。子供らのとって来た熊笹の若葉は ベコ餅 をのせたり 三角に包むにちょうどよい程 のびてゐます。雪のあるうちから 寝てゐた私は もうこんなに伸びた のに 一寸と 光陰あまりに早いのを 一寸と 妬みもしましたが すぐまた、青々生々してる熊笹を愛します。
「お節句」というのは、五月五日の端午の節句ですね。それを昭和三年当時の余市では、旧暦の五月五日で祝っているようです。この手紙が出された六月二十日は旧暦では五月三日、旧暦五月五日は六月二十二日になります。ちょうど、節句の前の準備をしているところなんですね。 「ベコ餅」というのは、私は近畿の人間なので知らないのですが、調べると北海道や東北地方の一部において、端午の節句で食べられる菓子で、黒白二色なのでベコ(牛)だからベコというそうです。(鼈甲がルーツという説もあるということです)。 北斗は4月の末に喀血して病床に伏し、手紙を書いた時点で、約二か月、病床にあるという状況です。
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