北斗が、病床で最後まで読んでいたという「一言集」という小冊子を入手。
後藤静香が格言や警句のような、短い言葉を描いたもので、昭和3年10月発行。非売品で、昭和4年版「心の日記」の付録のようです。
この昭和3年10月といえば、もう、かなり弱っている頃です。
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コタン管理人 ++.. 2008/08/30(土) 00:33 [364] |
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いくつか書き出してみます。
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一
誰でも、自分の親から某年某月某日某所で生れた。之は訂正されぬ絶対の運命である。人間には盲従せねばならぬ事がある。此の真理を解せず、凡てに我が儘が通ると思つたら、悲観し又煩悶する。
二
偉大なものを持たない人間は、すぐに自分を大きく思う。 絶えず伸びて居る人間は、いつも自分を小さく感ずる。 小さくは感じながらも大きくなり得る望みをもつ。
三
やれるだけやる。結果は成行にまかせる。 結果がよければ尚やる。 悪ければ、考え直して尚々やる。
六
善い事だと思ながら尚 行い得ないのには二つの原因がある。 一つは、本当に知らないから 他の一つは、愛が足りないからである。
七
私は急ぐ。人を愛するから急ぐ。溺れかゝって居る子を、来年まで見過ごしにする親はない。徐々に進むとゆうのは、徐々に進めてもよい事か、それほどになまぬるい人間のする事である。
九
大自然の中にころげこむと、自然が自分の家になる。 人間の中にころげこむと、人間が自分の家族になる。
一五
自分の仕事に命を投げこむと、自分の天職がわかる。 そうして自分の力量がわかる。
二四
不滅の霊は、自身と同じ様な不滅な仕事を要求する。正しく仕事が霊に託されて居る。それは自己と全世界との完成である。 不滅な仕事に没頭して居るとき、最高の悦びを感ずる。
二五
本当に愛するとは、他の中にある自己と、自己の中にある自己とが、一つになることである。愛はどんな民族をも相抱かしめる。 愛は愛を呼び起す。
三五
天下を動かさんとする者は、先ず自ら動くべし。 眠れる獅子は走る犬に如かず。
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といったぐあいの文章が、59編載っています。 古田謙二によると、北斗は病床で、この本を繰り返し読んでいたそうです。
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管理人 ++.. 2008/08/30(土) 00:54 [365]
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なかなか興味深いので、もう少し引いてみます。 -----------------------------------------------
三四
病を癒し得るものが医師だけではない。 生きる力は誰の中にも宿って居る。 病を癒す最上の方法は、其の生きる力に活気を添える事である。
三七
よその家に行って、便所や流しもとばかり嗅ぎ廻るのは犬である。 人間ならば玄関から堂々と座敷へ通る。此の人生にも汚い所はあるが、強いてそこだけ嗅ぎまわるには及ぶまい。
四一
昔の志士英傑にも何等かの影はあつたろう。併し余りに強い光のために凡てが明るく見える。吾等がもつ過去の影、それに対する吾等の義務は、その影をも照す輝く前途をつくる事である。
四六
いつも肌身をはなさぬ書物があるか。又何か研究して居るか。 何の研究もせず、又研究しようとする意志さえない人間は、退歩するより外に仕方がない。進歩のとまつた人間は早く老衰する。
五七
伝統は貴い。伝統には、幾代の間に洗練せられたものが宿って居るから貴い。併し伝統が生命を失うならば、それはもぬけの殻である。 愛は殻を破つて新しい生命を送り出す。
五八
国民の一人一人が、国家を我物とし、国家と自分との合体を悟ればよい。之が分れば、利己心が愛国心に変る。此の事は自己を没却する事でもなく犠牲にする事でもなく、最もよく生かす事である。
五九
孤独から自然へ走り、自然とぴつたり触れあつたとき、それは人間をも抱き得たときである。地より天へ、そうして再び天より地に下る。もう孤独ではない。
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これらの言葉を、病床の北斗はどのような気持ちで読んだのでしょうか。
後藤静香の言葉には、私も引き込まれそうになります。 国家主義的な部分は、時代的にしょうがないと思います。その部分も含めた上で、もうそろそろ、多くの人に読まれてるようになってもよい頃かもしれません。
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管理人 ++.. 2008/08/30(土) 01:11 [366]
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