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1995年(平成7年)1月17日5時46分に発生した、淡路島北部の深さ16kmを震源とするM7.3の地震です。神戸市と淡路島の洲本で震度6を観測したほか、東北地方南部から九州地方にかけての広い範囲で有感となりました。
当初公表された最大震度は6でしたが、気象庁の地震機動観測班の現地調査によって、神戸市や淡路島の一部地域では震度7に相当する揺れが発生していたことがわかりました。1948年の福井地震を契機に新たに導入された震度7 (激震)を観測した最初の地震でした。
消防庁の統計によると、この地震による被害は、死者6434名、行方不明3名、負傷者4万3792名、住家全壊10万4906棟、住家半壊14万4274棟、全半焼7132棟にのぼりました。
地震の発生が早朝であったため、犠牲者のほとんどは家屋の倒壊や家具の転倒による圧死で、高齢者の犠牲が目立ちました。沿岸部では液状化の被害も見られ、神戸港では岸壁が傾くなどの被害により約90%の範囲が使用できなくなりました。
気象庁はこの地震を「平成7年(1995年) 兵庫県南部地震」と命名しました。また、政府は被害規模の大きさに鑑みて、この地震によって生じた災害を「阪神・淡路大震災」と呼ぶことを閣議決定しました。
ライフラインの全面復旧は電気が6日後、電話が2週間後、水道が3ヶ月後であり、ガスは約4ヶ月後においても一部の地域で未復旧でした。鉄道の全面復旧は8月末まで待たなくてはいけませんでした。
新幹線の高架橋の落下や高速道路の高架部分の倒壊など、地震に対する大規模構造物の「安全神話」が崩壊した地震でもあります。地震前後の地殻変動データの解析や余震の分布などから、兵庫県南部地震を起こした断層は六甲・淡路島断層帯であることがわかりました。
淡路島北部では約10kmにわたり野島断層が出現し、最大1mの右横ずれ、1・4mの上下変位が見られました。この地震で出現した断層は野島断層保存館で今も見ることができます。
一方、神戸市南部では地面の亀裂が見られた程度で明瞭な地表断層は現れませんでした。しかし、神戸市須磨区から西宮市にかけて幅約1km、長さ約20kmの震災の帯と呼ばれる帯状の被害集中域が生じたことが知られています。
この「震災の帯」は六甲・淡路島断層の真上ではなかったため、地下で別の断層(伏在断層)が動いたことや六甲山地と盆地の境界で地震波が増幅されたことがその原因であると考えられています。
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