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  骨粗鬆症の要因  仲條拓躬 2025/05/09(金) 16:21 
  若者に多い子宮がん  仲條拓躬 2025/05/09(金) 16:19 
  食生活の改善10か条  仲條拓躬 2025/05/09(金) 16:17 
  石原莞爾と武藤章  仲條拓躬 2025/05/09(金) 16:12 
  深夜の格闘劇  仲條拓躬 2025/05/08(木) 20:36 
  盧溝橋事件の真相とは  仲條拓躬 2025/05/08(木) 20:34 
  スマホ依存者へのアドバイス  仲條拓躬 2025/05/08(木) 08:28 
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  朝鮮半島併合の事情とは  仲條拓躬 2025/05/08(木) 08:24 
  北欧でのIQ上昇の頭打ちの原因  仲條拓躬 2025/05/08(木) 08:21 






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骨粗鬆症の要因
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/05/09(金) 16:21
No. 7838
 
 
年齢を重ねると、転倒の事故が多いです。丈夫な骨を常日頃から作っておくことが大切です。骨粗鬆症予備軍は、約1000万人とも言われており、女性に多いといわれています。最近では子供達にまで広がってきています。

高齢者の腰痛、背痛の原因ともなり、寝たきりになる原因として、脳卒中、老化によるものがありますが骨折も上位に位置しています。若者層の女性に過度なダイエットでカルシウムの吸収がスムーズに行われなくなり骨粗鬆症に陥り骨折しやすくなるようです。

最近の子供達は、外で遊ぶことが少なくなって家に引きこもり運動不足となって日光に当たる機会も少なくカルシウムの吸収を高めてくれるビタミンDの取り込みが悪くなってきます。

そして加工食品が体内のカルシウムとのバランス、ミネラルの吸収を阻害するので吸収を悪くしています。食品は、ロースハム、ポテトチップが特に阻害します。骨は常に生まれ変わり、三年で再生されるともいわれます。

健康な骨を作るためにはやはり栄養のバランスが取れていることです。コラーゲンが水分、カルシウムを包み込んで丈夫で健康な骨や軟骨を形成しています。この骨粗しょう症のリスクを高める要因の一つとして、コーヒーの摂取 が挙げられます。

コーヒーに含まれるカフェインは、血中ビタミンD濃度を下げるということが報告されています。ビタミンDは、カルシウムの吸収を助ける働きがあり、骨の健康に欠かせない栄養素です。ビタミンDが不足すると、骨粗しょう症になりやすくなり、大腿骨頚部骨折のリスクが高まりますが、顔の骨にも影響が出て、顔のたるみにつながってしまうのです。

 





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若者に多い子宮がん
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/05/09(金) 16:19
No. 7837
 
 
若い女性で最も多い癌が、子宮癌です。女性の全年齢を通じてみると胃癌や大腸癌、乳癌の方が多いものの、癌の統計によると、20、30代の罹患率は子宮癌が上回っています。その子宮癌の8割が、子宮の入り口(頸部)にできる子宮頸癌が占めているそうで、性交時に感染する可能性があるヒトパピローマウイルスなどが原因とされています。

エイズ感染者も先進国内では増加率が高いのは性交時に予防をしない若者が多いことを物語っているのですが、エイズ予防のみならず、子宮頸癌の感染についても知識を持っていただいて予防に心がけていただきたいと思います。

性交は女性が被害をこうむる事が多いのです。早く見つけて手術をすれば5年生存率は9割を超えるそうですが、将来子供が欲しいと思っている人にとっては、子宮全摘は避けたいでしょう。

ごく初期だと、レーザーや高周波など、癌を削りとって子宮を温存する方法がありますが、子宮頸部の外に癌が広がっている場合は難しくなり、膀胱や直腸に分布した神経を切断する場合があり、排便・排尿障害が起きることがあるのです。膣も短くなり、性交にも支障をきたします。

若い女性で最も多い癌が、子宮癌で原因は不特定多数の方の性交渉が問題です。性交においては男性よりも女性のほうが病気になる危険は高いことを女性だけでなく男性もしっかりと認識して予防に努めましょう。

 





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食生活の改善10か条
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/05/09(金) 16:17
No. 7836
 
 
1.主食は「ご飯」を食べること。ご飯は日本人にとって最適の主食であり、食生活の土台です。ご飯を必要以上に控えると体に必要な栄養素が不足し、それを補給しようとして異常な食欲が湧いてしまいます。お腹も早くすくので、菓子類などに手を伸ばす結果にもなりがちなのです。だが、お米の高騰が止まらないので「ご飯」高級品になりました。

2.液体でカロリーをとらないこと。喉の渇きをいやすのは水で十分です。清涼飲料や炭酸飲料・缶コーヒーなどでは、余分なカロリーをとることになります。また、液体の砂糖は血糖値を急激に高めてしまい体に負担をかけます。飲み物は水が嫌なら、番茶やほうじ茶、ウーロン茶、麦茶などカロリーのない、色が茶色い体にやさしいものにしましょう。

3.カタカナ主食は避けること。パン・ラーメン・スパゲティ・コーンフレークなどの常食はやめましょう。カタカナの主食類は油脂類の多さが気になります。パン・ラーメンなど加工度の高いものほど、食品添加物などの心配も必要となります。日本のパンと外国のパンは糖分も添加物も異なるのです。ご飯をライスと呼ばないこと。

4.発酵食品を常食すること。ヨーグルトは動物性発酵食品なので日本人には合わない方が殆どです。日本人には植物性である味噌汁、漬物、納豆などの発酵食品を毎日食べるようにしましょう。添加物の入っていない質の良いものを選びましょう。発酵食品には有用な微生物が存在し、これを体内に取り入れることで、身体は活性化します。

5.未精製を常食すること。主食の穀類を充実させることは大切なポイントです。食物繊維も豊富になり、ビタミン・ミネラルのよい供給源となります。白米よりも胚芽米や玄米などの未精製ものが理想です。米に雑穀を混ぜるのも良いです。

6.副食は季節の野菜を中心にすること。おかずは季節の野菜を中心にしましょう。動物性食品よりも多くなるように心掛けましょう。

7.動物性食品は魚介類を中心にすること。

8.油脂類・砂糖のとりすぎに注意すること。砂糖や油脂などの精製度の高い食品のとり過ぎは、ビタミン・ミネラル・食物繊維などの微量栄養素不足の原因になります。肉類の脂、ベーコン・チーズ・バター・マーガリン・マヨネーズ・クリームなどの高脂肪食品は、できる限りとらないようにしましょう。

9.食品の質・安全性に注意すること。神経質にならない程度に、食の安全性にも注意しましょう。醤油・味噌・塩・砂糖・みりんなどの基本的な調味料はよく吟味して、添加物が入っていない質の良いものを選びましょう。

10.食事は楽しく・ゆっくり・よく噛んで食べること。

 





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石原莞爾と武藤章
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/05/09(金) 16:12
No. 7835
 
  綏遠事変は関東軍が本格的に関与したと言うよりは、田中隆吉の個人的な謀略であったといえますが、植田鎌吉関東軍司令官、板垣征四郎参謀長、武藤章参謀第二課長ら首脳部の了解のもとに行われていたのです。とくに武藤章は田中隆吉を支援していました。

武藤、田中は満州事変における石原莞爾の真似事をしたかったのです。その石原莞爾が当時参謀本部戦争指導課長として事変中の11月20日現地に飛来し、止め男の役を果たそうとして、武藤章に「石原さん、我々はあなたが満州でやられた事をしているのに過ぎませんよ」と皮肉られ、返す言葉がなかったというエピソードはよく知られていることです。

この時の石原莞爾の立場と真理は違っていました。石原莞爾が満州事変を画策し、中央の統制を無視して兵を動かしたことは事実です。石原莞爾自身内心では兵を動かした後ろめたさを感じていたかも知れません。

従って武藤章の一言は石原莞爾の胸に突き刺さったことでしょう。もし武藤章が満州合衆国は恒久平和の礎になるということを理解してくれるような器の人間ならば石原莞爾も指導力のある軍人として、いささかもたじろぐことなく、ただちに武藤を一喝して、満州事変時と現在の情勢の違いを説明したことでしょう。

今回の計画の不可なることを堂々と説得することは可能であったはずです。しかし、武藤章には理解出来なかったのです。参謀本部の有力スタッフとして石原莞爾は当時の日中の問題が交渉の立場にあったのだから、職権上も徹底的に武藤章を制止すべきであったかもしれません。

ついでにいえば、武藤章は翌年3月の異動で参謀本部に帰り、同日付で作戦部長となった石原莞爾のもとで作戦課長のポストにつくのですが、なぜ石原莞爾はこの人事を拒否しなかったのか。武藤章が有能という評価はあったにしても、自己の統制に服さなかった実績のあるものをなぜ唯々諾々と受け入れたのであろうか。

石原莞爾が武藤章を呼んだのだとすれば何を。石原莞爾のような天才肌の人は人事には無関心で人事に無頓着であったのかもしれません。それにやがて日本を奈落の道へと導くことになるのです。

 





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深夜の格闘劇
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/05/08(木) 20:36
No. 7834
 
 
酒を呑み足りなくて深夜帰宅、何かおつまみはないかと、冷蔵庫を開ける。ビニール袋詰めの白菜の漬物が見つかる。まだ封を切っていない新しいものです。まず包丁取り、袋の上のほうだけ上手に切る。2つ入りの袋から白菜をひとつ取り出す。袋の方は、中の汁がこぼれないように、流しの内側に立て掛けて置く。

ここまでの作業だけでも、何と言うこともないのだが、イライラが伴う。汁の入ったビニール袋というものは、何かあったら倒れてやろう、何かあったらこぼれてやろう、という気配に満ちているからである。それをこちらは、何とかして倒すまい、何とかしてこぼすまい、と気疲れするのである。

汁だけの入った袋を流しの内側に立てかける、という作業だけでも、かなりの技術を要する。立てかけようとすると、酔っ払いのようにズルズルとずり下がる。引き上げると、今度は横に倒れようとする。立とうという意思がまるでないのです。

一人前のおつまみとしては、この白菜のおしんこは量が多すぎる。そこで半分をまた板の上に乗せ、あとの半分を、流しの内側に立てかけておいた袋に戻す。この戻すのがまた、かなりのイライラを伴った難事業なのである。

左手で、ともすれば倒れようとするビニール袋の口をあけて立たせ、その口のところへ、右手でダラリと持った白菜の先端をあてがう。白菜の漬物の先端というものは、広がろうとする意思が強い。冬だと、深夜の水道の水は冷たい。手がかじかむ。

だが、ビニール袋は倒れようとし、白菜の先端は広がろうとする。深夜の台所で、どうしてこんなことをしなければならないことになったのか。そういう疑問が、ふと頭の中をよぎる。お酒のおつまみは、はたして白菜でなければならなかったのか。

その横にあった、瓶詰めの佃煮でもよかったのではないか。いやいや、白菜を、半分取っておこうと思ったのがそもそも間違いではないのか。いっぺんに、全部食べたってよかったのではないか。

全部洗って、全部切って、全部お皿に盛って、食べて、そうして残ったら、それにラップをかけて冷蔵庫にしまえばそれで済むことだったのではないか。そうだ。そうだったのだ。白菜の先端を、ビニール袋の切り口に挿入させようとしながら、後悔の念がしきりにわく。

それでもようやく気を取り直し、半分をビニール袋におさめる。手からも袋からも、水がしたたり落ちるから、小走りになって冷蔵庫のところへかけつける。白菜のために、こんなに苦労させられる。内心いまいましくてならぬ。

冷蔵庫のドアを開け、ヘナヘナと倒れそうになる白菜の袋をようやく瓶詰めの佃煮にもたせかける。もたせかけてドアを閉めようとしたとたん、袋が倒れて汁がどっと冷蔵庫の中に流れ出し、冷蔵庫からあふれて床のほうにまでひろがってくる。

その汁を見つめながら、俺の人生はこれでよかったのだろうか、と思い、思いながらあわてて雑巾を取りに行こうとし、汁にすべってころんで頭を打って酔いが回りそのまま意識が遠のいていく。翌朝、その現場を見た家族の目が点になる。

 





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盧溝橋事件の真相とは
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/05/08(木) 20:34
No. 7833
 
 
盧溝橋事件での日中戦争への拡大は、日本政府も蒋介石も望んでいませんでした。日本も不拡大方針を決め、和平交渉の道を模索し、蒋介石は共産党を倒して国内を安定させるのが原則方針だったので、対日戦争は避けたかったのです。

だが、虫の息の共産党にとって、「抗日」は唯一の活路でした。「抗日」と叫ばなければ、まず共産党が蒋介石率いる国民党の餌食になってしまうからです。共産党は蒋介石を抗日に追いつめ、日本側も近衛文麿の優柔不断があったのも蒋介石の誤算であったのです。

1937年7月7日の盧溝橋事件での軍事的衝突については、史実がはっきりしていません。満州事変が石原莞爾の計画によって引起こされたことは、歴史上の事実となっていて異論はありませんが、しかし盧溝橋の第一発の銃声がどちら側からさきに撃たれたのかについては、真相不明ということです。戦前は勿論中国軍からの不法射撃とされていました。

もっとも日本側でも張作霖爆殺事件や満州事変の真相を知っていた一部上層部の間では「どちらが先に手を出したかといえば、どうもこちらの方が怪しいと思う」(近衛文麿『平和への努力』)「柳条溝の手並みを知っているわれわれには(軍部が)『またやりあがった』」(石射猪太朗『外交官の一生』)などと認識されていたようです。

戦後東京裁判に提出された秦徳純「七・七事変記実」では、第一発の問題にはとくに触れず、事変の責任はもっぱら日本側にあることが強調されています。その判決では柳条湖事件の場合には日本軍により計画され、実行されたものと認定しているのに対し、盧溝橋事件については当夜の事件発生の経過を述べているのですが、その責任が日本側にあったとの明確な判定を下していないのです。

しかしその後の研究調査の結果や証人、中国側の主張あるいは政治的意図の濃い見解として最初の攻撃は日本軍から意図的になされたものではないと認められています。それは日中の軍事的衝突を誘発させようとした共産軍や馮玉祥軍の陰謀という見方があり、とくに前者については、さまざまな情報が飛び交っているのだが圧力などがかかり確証は取れないのです。

今後新たな有力資料や証言が出てこない限り、この問題の結論を出すことは困難でしょう。「今や歴史のひとコマとなってきた盧溝橋事件の全容が完全に明らかになるにはもう少し時が必要だろう」(秦郁彦『昭和史の謎を追う』下巻。同書にはこの問題が詳細に検討されています)。

たしかに現地の緊迫した情勢から、このような局地的トラブルは何らかの形で起こる可能性はあったのですが、起こったにしてもこれを大事に至らしめず、日中の悲劇を避ける道はあったのであるから、発端の問題は必ずしも重要ではないかも知れません。

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スマホ依存者へのアドバイス
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/05/08(木) 08:28
No. 7832
 
 
自分のスマホ利用時間を知りましょう。1日に何度スマホを手に取り、どのくらい時間をかけているのかを把握するために、アプリを使ってみるといいでしょう。そうすれば、スマホに奪われている時間が一目瞭然です。自分を知ることが、変化への第一歩になります。

目覚まし時計と腕時計を購入しましょう。スマホでなくてもいい機能は、スマホを使わないようにしましょう。毎日1〜2時間、スマホをオフにします。毎日2時間、オフにすることを周りの人にも伝えましょう。そうすれば、返事がないという怒りのメッセージが届いたり、人をイライラさせたりせずにすみます。

プッシュ通知もすべてオフにしましょう。スマホの表示をモノクロにしましょう。色のない画面のほうがドーパミンの放出量が少ないのです。それによって、どのくらいスクロールを続けたくなるかが大きく左右されます。

運転中はサイレントモードにしましょう。危険な瞬間に気が散るリスクが減ります。悪いタイミングでお知らせや通話が来ると、いちばん必要なときに集中が妨げられる可能性があります。それに応答しなかったとしても、です。

職場で集中力が必要な作業をするときはスマホを手元に置かず、隣の部屋に置いておきましょう。チャットやメールをチェックする時間を決めましょう。例えば1時間ごとに数分などです。人と会っているとき、友達と会っているときはスマホをマナーモードにして少し遠ざけておき、一緒にいる相手に集中しよう。そうすれば一緒に楽しく過ごせるはず。

あなたがスマホを取り出せば、周りにも伝染します。取り出さないようにすれば、それが連鎖反応になって、皆があなたを見習うはずです。子供と若者へのアドバイス。教室でスマホは禁止でないと学習能力が低下します。

スクリーンタイムを制限し、代わりに別のことをしましょう。1日のスクリーンタイムは何分までならいいのか、分単位で推奨するのは難しいですが、どうしても具体的な数字が欲しいなら、大人も子供も仕事や勉強以外でスマホ他のスクリーンに費やしていいのは最長で2時間です。

それでも睡眠、食事、職場や学校への移動時間を除けば、起きている時間の6分の1を費やしていることになります。8歳未満の子供なら1時間が限度です。私がいちばんいいと思うのは、別のことをする時間を設けることです。宿題をする、運動をする、友達に会うなど、それに集中する時間を決めましょう。

我々は相手を真似ることで学びます。子供は大人がしているようにします。大人に「しなさい」と言われたようにではなく。寝るときは、スマホやタブレット端末、電子書籍リーダーの電源を切りましょう。少なくともベッドに入る1時間前には。スマホを寝室に置かない。少しでも眠れないなら置かないほうがいい。朝起きるために目覚まし時計を買おう。

どうしてもスマホを寝室に置くなら、着信音を消しマナーモードに。寝る直前に仕事のメールを開かない。ストレスの対処法。ストレスの兆候を見逃さないようにしよう。これらの兆候はストレス以外のことが原因の可能性もあります。不明な場合は医療機関に連絡をしましょう。中でもいちばんいいのは心拍数を上げる運動です。

とはいえ、マラソン大会に出ろと言っているわけではありません。脳から見れば、ただ散歩するだけでも驚くほどの効果があります。とにかく大事なのは運動をすることです。それで心拍数が上がればなおよいのです。最大限にストレスレベルを下げ、集中力を高めたければ週に3回45分、できれば息が切れて汗もかくまで運動するといいでしょう。

 





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世界各国の選挙の動き
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/05/08(木) 08:26
No. 7831
 
 
1960年代に西側が共産主義の経済的成功に対して抱いた恐怖の源泉がどの程度、目立ちはしますが基本的に重要ではないロシアの技術的成果 (スプートニク)にあったのか、それとも単純な誤情報にあったのか、あるいはそうした情報の意図的な誤解にもとづくデマにあったのかは知るよしもないでしょう。

しかし、1956年のハンガリー革命の鎮圧と1968年のプラハの春の弾圧をきっかけとして、共産主義を名乗る国々で共産主義が信頼を失っていきました。1989年にベルリンの壁が壊され、その後、ソビエト連邦が最終的に崩壊するころ〔1991年12月〕には、共産主義の経済的失敗は明らかでした。

ドイツを二つの国に分けたことは、おそらく経済史上最大の制御された「対照実験」であり、その結果ははっきりしていました。東ドイツの社会主義経済の生産性と実質所得は、西ドイツの市場経済が達成したものと比べればわずかでしかなかったのです。

第二次世界大戦後、ヨーロッパの労働者階級の共産主義への支持は、着実に低下していました。イギリスでは、2回の炭鉱労働者のストライキで政府が敗北し、労働組合が一時的に力を取り戻した1974年には、社会主義イデオロギーも一時的に復活しました。

しかし、1976年にはイギリスの労働党政権がIMF(国際通貨基金)に屈辱的な融資を求めざるを得なくなり、新たに任命されたジェームズ・キャラハン首相は労働党大会で次のように語りました。「私たちは、減税と政府支出の増加によって雇用を増やし、不況から抜け出すことができると考えてきました。しかし、率直に言って、そのような選択肢はもはや存在しません」。

1981年に社会主義プログラムを掲げてフランソワ・ミッテランがフランス大統領に選出されたころには、財政と経済の現実は急速な方向転換を迫りました。少なくとも二世代の間に、西側の民主主義国における社会主義は終わりを迎え、ヨーロッパの左派の主流はそれをあっさりと放棄しました。

戦後の社会民主主義の初期の成功も侵食されていた。ヨーロッパの社会民主主義の灯台的存在であったスウェーデンの社会民主党は、1932年から途切れることなく政権を維持してきたが、1976年に敗北しました。社会主義者とマルクス主義者の派閥は、主要政党の内外に残ってはいましたが、それは過激派の残党という程度に落ちぶれていました。

ほかのイデオロギーの信奉者と同様に、それらの残党のメンバーも現実的な政策を提案することに関心はありませんでした。生き残った活動家たちはますます狂信的になり、抗議すること自体を優先し、その主要な敵は、自らの信念とは少ししか違わない信念を支持する人たちであることも多かったのです。

1970年代になると、デレク・ハットンやアーサー・スカーギルのような攻撃的なマルクス主義者が目立つようになる一方、トロツキストのグループであるミリタント派は労働党に浸透することに成功しました。しかし、そのような過激なイデオロギーは有権者の支持を得られなかったので、1983年の総選挙で労働党は惨敗することになったのです。

左派の伝統的なイデオロギーはすたれていきましたが、しばらくの間は伝統的な左派政党は生き延びることができました。イギリスとアメリカの両国において、トニー・ブレアとビル・クリントンという、賢明でカリスマ性のあるリーダーが登場してきたのは両党にとって幸運でした。

ブレアの「ニューレイバー」(新しい労働党) や 「第三の道」、クリントンの「三角測量戦術」という曖昧なブランドによって、影響力が低下しつつあった労働者階級の優先事項と、台頭しつつあった、グローバル救済主義と能力主義という個人主義を好む、教育を受けた若い世代の優先事項の現実的な融合に向けてそれぞれの党の立ち位置を修正していった。

ブレアは「犯罪に厳しくする」と約束し、クリントンは「三振でアウト法」〔前科二犯の者が三度目の有罪判決をうけると終身刑となるという法律〕を支持する一方、ブレアの財務大臣は福祉給付金を引き上げ、クリントンの妻は健康保険を改革しようとしました。能力主義は、生まれにかかわらず、最も優秀な人が出世できることを求めました。

そこで、新たにアカデミーやチャータースクールを通して、教育の機会を増やし、教育の質を改善しようとしました。ブレアはさらに就学前教育のための国家プログラムを追加しました。両方の有権者にアピールする政策と、彼らの個人的な魅力の組み合わせによって、党の多様化した支持者をひとつにまとめることができたのです。

オバマは同じ魔法を使いましたが、ブレアには同じような後継者はいませんでした。2019年のイギリス総選挙では、グラストンベリー音楽祭で「ああ、ジェレミー・コービン」と歌った感情的な若者と、労働党に浸透していた過激派によって、1983年の惨敗が繰り返され、保守党のボリス・ジョンソンに大勝利をもたらしたのです。

 





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朝鮮半島併合の事情とは
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/05/08(木) 08:24
No. 7830
 
 
日清戦争で実際に持ち上がった問題は朝鮮半島についてです。この朝鮮半島は、当時、鎖国状態でした。その鎖国状態だったところにヨーロッパ列強の植民地的侵略の手がどんどん伸びてきたのです。

ちなみに、日本の開戦後、まだ鎖国していたのは、アジアでは朝鮮半島だけでした。ここで大変問題なのは、中国が西洋諸国の植民地にされているように、鎖国状態のアジアの国々は、19世紀末のヨーロッパ列強のアジア進出のために、ほとんどが植民地化されているか、征服されています。

そうなると、朝鮮半島はまだ鎖国をしているということはいずれ植民地支配されてしまう。さらにロシアの南下政策で勢力がどんどん迫っているのです。その時そこに三国干渉がやってきたわけです。

ロシア、ドイツ、フランスが、日清戦争による日本の朝鮮半島から中国大陸へかけての進出、そして日本がそこに領土も利権も獲得することに異議を申し立てたのです。その中でも南下政策を進めるロシアが一番強硬でした。

これは歴史的にずっと続いてきた地理的な条件にもとづく方針で、ロシアは常に南下政策をとっています。それはロシアのロマノフ王朝以来の、ソ連邦になっても変わらなかった外交政策です。

この三国干渉というのは、日清戦争の成果を踏みにじるもので、日本としてはとても我慢が出来ませんでした。そして遂に10年後、日露戦争という形に表れるのです。日露戦争は幸い、日本の勝利で幕を閉じることができました。

そして再び遼東半島の利権は回復され西洋諸国の植民地政策もストップしました。そのほか、朝鮮半島についての利権も獲得して手出しさせなくしたのです。さらに南樺太についての利権も獲得したので、ソ連は日本に恨みを持つのです。

満州及びそれに繋がる蒙古という地帯は、日本人の方から言うならば、五族が住む未開の地で日清、日露の苦労の末に獲得した地帯で、しかも、アジアの解放、人種差別廃止、独立をするためだという理屈となって、特別な意味を持っていくわけです。

多くの日本人や韓国及び周辺諸国ではどのような反日教育を施されどのように理解しているのかわかりませんが、これが歴史の真実でしょう。

 





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北欧でのIQ上昇の頭打ちの原因
   投稿者: 仲條拓躬    
2025/05/08(木) 08:21
No. 7829
 
 
ある書物では、記憶力や集中力といった知能がスマホのせいで低下していることを分析しているものがあります。現代のライフスタイルは座りっぱなしの時間が多く、睡眠時間も減っています。その影響についても指摘されていますが、これは我々の頭が悪くなっているという意味だろうか。昔よりは賢くなっているはずではないのか。

欧米では、IQ(知能指数)の平均スコアがここ100年で30も上昇しています。近代的なIQテストは20世紀初頭に開発され、当時の平均スコアは現在とまったく同じで100でした。我々が賢くなるにつれて、テストも難しくなりました。

現在IQテストを受けて100を取る人、つまり平均点を取る人は100年前のテストなら130で、人口の3%に相当する最も賢いグループに属していたことになります。一方、20世紀初頭に100点を取っていた人は、当時それが平均的な知能とされていたのですが現在のテストでは70しか取れず、精神遅滞の基準を満たすことになります。

だが、100年前に生きていた人たちが我々よりも頭が悪かったということではありません。今の我々と同じように、人生の実際的なことには対応できていました。我々のIQのスコアが上がった原因としては、こういったことが考えらます。現代人のほうが知能テストに出てくる抽象的、数学的な思考の訓練をずっと多く受けています。

なにより学校に通う期間が長くなりました。現在スウェーデン人の半数が高校を卒業していますが、100年前はほとんどの人が7年間の国民学校を出ただけでした。それに、現代の仕事はもっと複雑です。現在の仕事を例に取ってみればわかります。100年前、医師が使える薬はそう多くなかったでしょう。まだ抗生物質も発見されていない時代です。

それが今では何千種類もの製剤が手に入り、医学の知識も広範囲にわたり、すべてを把握することは誰にもできないくらいです。我々のIQは下がっているより長く教育を受け、より難しい仕事をこなし、複雑さを増し続ける世界に我々は住んでいます。それに合わせて、我々は知的能力を発達させ、IQテストで試されるような思考を訓練してきました。

世代ごとにIQが高まる現象は、ニュージーランドの大学教授ジェームズ・フリンにちなんだフリン効果として知られています。だが、フリン効果はデジタル化だけによるものではありません。IQは1920年代から10年単位でほぼ同程度上昇していますが、当時はまだテレビもインターネットもなかったのです。

ただ、ジェームズ・フリンは90年代の終わりから気懸かりな傾向に気づいていました。 北欧ではIQの上昇が頭打ちになり、今では平均スコアが毎年いくらか下がっているほどです。それほど劇的なものではない、年に0.2程度の低下ですが、北欧では1世代後には6〜7も下がることになるのです。そうなると、誤差範囲とはとても言えません。

フリンは、おそらく世界の他の地域でも同じことが起きるだろうと予測しています。フリンによれば、これは学校が昔より緩くなり、20〜30年前ほど読書が推奨されなくなったせいだといいます。それ以外に考えられるのは、身体を動かす時間が減ったことです。怒濤のように流れてくるすべての情報を処理することが難しくなった、とも考えられます。

 



 

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