聖座忠誠派掲示板
聖母マリアの花園

天 使 祝 詞

めでたし聖寵満ち満てるマリア、主は御身と共にまします。

御身は女のうちにて祝せられ、ご胎内の御子イエズスも祝せられたもう。

天主の御母聖マリア、罪びとなる我らのために、今も臨終のときも祈り給え。アーメン


カトリック信者、カトリックに関心のある方のための掲示板です。

現在の教会を憂える方、戸惑われている方、大歓迎です。


意見交換の場ですので、礼儀と節度ある投稿をお願いします。

虚偽やふさわしくない投稿は、管理人の判断で削除します。 管理人:maggie




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 日本での「聖霊刷新運動」と各種刷新との関連について(かなりの長文投稿)    ..シャロンの水仙    
      2017/05/24(水) 23:42  No.2642
 
 
子供ミサの件で脱力したのですが、神父様のちょっとした発言がきっかけで
日本での「刷新」の一部関係者について下記の推論に至ったので、投稿してみます。
当時の状況に詳しい方々がご覧になっていましたら、ご意見を伺いたく存じます。

 ※過去にお世話になった神父様方、関わった教会や団体について記載されていて、
  不快に思われる方がもしいらっしゃいましたら申し訳ありません。
  この投稿が不適切であれば、削除致します。
 
 ※歴代の教皇様方は聖霊刷新運動について好意的なコメントを出されていたらしいです
 (「四谷祈りの会」サイト資料に目を通しただけですが)。


◆推論
1972年、レデンプトール会が運営する初台教会内にて始まった「聖霊刷新運動」の関係者が、典礼含む日本の種々刷新を推進する動きに加担していたのではないか?

◆分かったこと
・レデンプトール修道会が運営している初台教会内において、日本での聖霊刷新運動の中核である「聖霊カリスマセンター」がかつて存在していた。同センターは、今では上智大学内にある四谷祈りの会に引き継がれている。

・「祈りの集い」:1972年秋に初台教会で始まった聖霊刷新運動に伴う祈りのグループ。
 「その規模はともかくとして、たちまち日本全土に見られるようになった。」
 「邦人の司祭・司教・枢機卿の出席も見られるようになった」運動との事。
  www.sol.dti.ne.jp/~hsro/shiryo/rekishi.pdf
 
・日本での聖霊刷新運動の初期メンバーは、下記の通り。
  ※当時のご年齢を考えるために、”(生年 – 没年)”を調べて掲載しました。

  ・故 N・Rサール神父様(1928- 2004年): レデンプトール会。
    当時初台教会助任司祭。後に吹田教会主任司祭。
 
  ・故 B・Sナイダー神父様(1917?- 2015年): フランシスコ会。
   フランシスコ会聖書研究所所長、聖書共同訳および新共同訳の聖書委員会委員長のご経歴。
   イエズス会の故D・Mッコイ神父様と共に聖心女子大学での「癒しのためのごミサ」に
   関わっていた? home.a04.itscom.net/ictus/hm.html

  ・少し遅れて、故A・Dモンティーニ神父様(1915?-2012年): レデンプトール会。
    当時初台教会主任司祭、後ほど吹田教会助任司祭。
    第二バチカン公会議後にいち早く刷新された典礼を取り入れたとの事
    (洗礼志願式・洗礼・堅信・初聖体)。
    初台教会主任司祭時代の1975年に、フォークミサ発足。

※ 聖霊刷新運動勃興当時の回想録 (PDFのp.19)
www.sol.dti.ne.jp/~hsro/shiryo/syunoibuki6.pdf


・1976年時点で運動に既に参加していらっしゃった方々は、下記の通り。
www.sol.dti.ne.jp/~hsro/shiryo/syunoibuki1.pdf

【イエズス会】
・故? A・Mヘル神父様:
1935年にドイツから来日し、町屋教会にご着任。ネット情報からは、詳しいご経歴は不明。

・故 F・Mシー神父様(1925? - 2015年):「四谷祈りの集い」指導司祭

・故D・Mッコイ神父様 (? - 2006年)
1947年ご来日。聖心女子大学での「癒しのためのごミサ」の創始者、且つ初代司式司祭。

・故 M・Rフォント神父様(? - 2015年):
1957年来日。1976年に最初のサダナ黙想会を指導。キリスト教社会センター、
祇園カトリック教会司祭、鳥取教会司祭。

【教区司祭、他】
・故 K林有方 司教様(1909-1999年):
 1954-1976年 仙台教区司教、その後名誉司教。米川教会。
 第二バチカン公会議に司教団の一員として参加されたご経歴も有り。

・S々木博神父様(1935年- ):
現・仙台教区司祭。オリエンス宗教研究所初代所長、日本カトリック宣教研究所所長(1977-1986年)。
著書『福音的見直しと刷新』(1980年)など。

・N村友太郎氏(1937年- ):
キリスト教学者、上智大学名誉教授。1960年代にハンス・キュンク著作訳書、パウロ・フィステルS.J.(第二バチカン公会議での日本司教団顧問)による第二バチカン公会議関連著作の訳書を出版している。
 聖霊刷新運動の国際会議には1978年、81年、89年、98年に参加しているとの事。


◆刊行物『主の息吹き』バックナンバーに於いて、気になる記述(ざっと目を通した限り)
・故K林司教様のご発言 No.34号(1977年10月23日付)より:
「私たち米川教会ではまず第一に典礼改善にとりかかりました。」

・S々木博神父様のご発言 (70年代末頃?; 講話集<3> 抜粋版 P56):
「私たちの教会が本当に刷新されるために正にパン種となって...」

・様々な教会、修道院で「祈りの集会」を開催していた様子。

・1970年代半ばから既に、「イエズス」様の表記・呼称に「イエス」が混在している。


◆聖霊刷新運動について
【アメリカ】
・1966年春-1967年の運動勃興について:
第ニバチカン公会議の閉会(1965年12月)からまだ間もない時期に、カトリックの私立大学デュケイン大学にて起こった。
「四人のカトリック信者が、聖霊に満たされていた長老派の女性信徒、フロー・ドッジの家で行われていた『チャペル・ヒル・ミーティング』という超教派のカリスマ刷新の祈りの集いに初めて参加しました。」
 www.sol.dti.ne.jp/~hsro/sasshin/hajimari.html

【イタリア、聖座関係】 www.sol.dti.ne.jp/~hsro/shiryo/rekishi.pdf
・イタリアでは、1971年に聖霊刷新の祈りの小グループに、後のミラノ大司教・「カルロ・マルチーニ枢機卿」(原文ママ)も参加していた。

  尚、イエズス会所属の故マルティーニ枢機卿(1927-2012年)は改革派であり、
  「生殖医療や離婚の是非、避妊具の使用に柔軟な姿勢を示し、他宗教との対話にも
   積極的だった」とクリスチャントゥデイの同枢機卿訃報のニュース(2012年9月11日付)に
   書かれている。 www.christiantoday.co.jp/articles/11033/20120911/news.htm

  ・聖霊刷新運動が野火のように広まり、1976年にはベルギーの
   故スーネンス枢機卿(1904-1996年)が当該運動のための事務局をブリュッセルに開設、
   同事務局は後にローマ、その後バチカンに移転。
   現組織名は「国際カトリック・カリスマ刷新奉仕会」(ICCRS)


◆参考サイト(『主の息吹き』バックナンバーなど)
・「四谷祈りの会」書籍・資料集 www.sol.dti.ne.jp/~hsro/shiryo/shiryo.htm
・「Life Network カトリック カリスマティック リニュワル 〜聖霊による刷新〜」
 (原文ママ)www.newlifejm.net/ccr_ibuki.html

・神父様方のご経歴については、教会公式サイト、教区ニュース、Wikipedia等々、全てWeb情報から拾いました。
  ※文字数の関係で、URLの掲載は省きます。 (編集済)



 子供ミサ    ..シャロンの水仙    
      2017/05/24(水) 21:52  No.2641
 
 
今日気付いてしまったのですが、もしかしたら所属教会の神父様は
2000年代前半に「子供ミサ」の導入を推進した方々のうちの一人かもしれません。

90年代から、何度か東京教区組織の典礼担当司祭になっていらっしゃるようなので、「いけにえ」の教え無視は何らかの思想があるのだと思います…。 (編集済)



 典礼等について    ..シャロンの水仙    
      2017/05/23(火) 09:33  No.2640
 
 
サボテンさま、ご丁寧にどうもありがとうございます。

私は幼少時にはカトリックと関わりがあったので聖書については下地があったのですが、典礼については無知なので、少しずつ学んでおります。トリエント・ミサは美しいですよね。

いい歳になって、改めてカトリックについて興味を持ち始めたときに読んだ本が(後々にリベラル思想の本だと知る)、その後読んだ名誉教皇様の御著書における聖書解釈と異なっているのに疑問を感じたり、
受洗準備のための勉強会で、所属教会の神父様の教える内容や発言にときどき「?」と思ったことがきっかけで、
カトリック信徒の方々のブログや昔の公教要理などを読み始めて、現在の教会の問題点が分かったという経緯です。

自分から動かないと、正統な教えや所作を知る機会がないなぁと思っております。
例えば、御聖体の手による拝領方法しか受洗者に教えず、聖座が標準としている舌での拝領方法の存在すら伝えないこととか。
(復活徹夜祭当日に拝領方法を教わり、受洗直前に他の受洗者の方々の気持ちを騒がせてはいけないと思ったので、皆さんのいる中で舌での拝領方法について発言するのは泣く泣くやめました…。)

ちなみに、勉強会でよく配られていた教理についての本のコピー(教理として何を伝えたいのかよく分からない曖昧な文章ばかりだと思っていました。)は、後になってイエズス会の有名なM神父様の著書だと判明しました。

>[ことばの食卓][感謝の食卓]????
こちらは、典礼神学がご専門らしい、フランシスコ会のN神父様の書いたものでした。

ちなみに、藤沢教会(※ 私の所属教会ではありません)の公式サイトに、典礼部の研修会として、N神父様がご講演された内容のまとめが掲載されています。「ことばの食卓」という言葉は書いていませんが…。
http://www.geocities.jp/fujisawa_church/shiryo/Nagumo200006.htm

また、「"ことばの食卓" "典礼"」で検索すると、色々なサイトがヒットします。
件の総則pdf内を検索しても、「ことばの食卓」(57)、「感謝の食卓」(73)という言葉が出てきますね。 (編集済)



 ローマ・ミサ典礼書の総則 第三版 2002年版の中央協議会訳 における「いけにえ」    ..サボテン    
      2017/05/22(月) 12:10  No.2639
 
 
シャロンの水仙 さま

 最近洗礼を受けられた方でも、実は親御さんが信者さんで、もう何十年間も御ミサに通われた方もおられますし、最近では、初めて教会の門をくぐり、わずか半年くらいで洗礼の決心をし、次の復活祭前夜に受洗される方もおられます。

 以下、私が書いていることを既にご存じなら、読み流してください。

 現在のミサの祭壇に置かれている分厚い典礼書を、現在の教会は、ローマ・ミサ典礼書と呼んでいます。ラテン語では、ミサーレ・ロマーヌムです。

 16世紀、ザビエルの時代(ルターの宗教改革の嵐のあと、音楽で言えばパレストリーナの時代)、1545年から何十年にもわたり、カトリック教会は反宗教改革の旗印を挙げてトリエント公会議を開きました。

 その後、トリエント公会議において、高らかに宣言されたり、議決されたり、確認されたカトリック教会の教え(教義:ドグマ)を忠実に厳守した、トリエント・ミサ(Tridentine Mass 英)と言われるミサの典礼書が当時の教皇様によって出されました。

 その形式のミサを、多少の改訂はあったとはいえ、骨格は全く変わらないまま、400年間以上の間、第二バチカン公会議終了後も、カトリック教会はささげ続けていました。カトリック教会は400年間守り続けたのです。

 聖ヴィアンネも聖テレジアも数々の聖人はこのミサで信仰を培われて、列聖されました。西洋音楽における有名なミサ曲、レクイエムなどは、このミサを教会がささげ続けた時代に生まれたものです。

 一方、20世紀後半の第二バチカン公会議で「典礼憲章」という公会議文書(公とは、普遍的という意味、カトリックのことです。公会議を教会会議と訳している歴史書もあります。以前の私の教会の門には、天主公教会 の看板がありました。公教会とはカトリック教会のことです)が出されました。

 そして、1970年、当時の教皇パウロ6世により、第二バチカン公会議の典礼憲章に基づく、ローマ・ミサ典礼書が出されました。これが、ローマ・ミサ典礼書 第一版です。

 その後、1975年に改訂版 第ニ版が出ました。現在の教会の祭壇にある典礼書は、1970年代前半に日本語翻訳されたものだそうです。

 その後、聖ヨハネ・パウロ2世教皇様が2002年に、典礼書の初めに書かれている「総則」部分を改訂して、第三版として出されました。いわゆる、ローマ・ミサ典礼書の総則 Institutio Generalis Missalis Romani 第三版です。

 前置きが長くなりましたが、この総則の初めの部分をお読みください。

https://www.cbcj.catholic.jp/wp-content/uploads/2004/05/sosoku2.pdf
 
 前文第1項、第2項、第4項
         
 印刷されたページのp.8〜9 ファイルの11/96〜12/96

 ミサとは何かが書かれています。

 ほんの一部をご紹介すると、

第2項

ミサが本質的にいけにえであることは、
教会の全伝承を受け継いだトリエント公会議によって議決されたが、
第2バチカン公会議はそれを再び肯定して、
ミサについて次のように述べている。
「救い主は最後の晩さんで、
ご自分のからだと血による感謝のいけにえを制定されたが、
それは、
(以下省略)」

 これは、皆さんが言われる悪しき古い教えではなく、2002年に教皇様の名前で出されたミサ典礼書そのものに書かれている内容なのです。

 PDFになっていますので、「いけにえ」で検索されると、いけにえの言葉が多く出てきます。
 
https://www.cbcj.catholic.jp/wp-content/uploads/2004/05/sosoku2.pdf

<2017年5月23日に再編集しました。> (編集済)



 ベールについて(最近色々思うことが多く、長文投稿が多くてすみません)    ..シャロンの水仙    
      2017/05/21(日) 20:38  No.2638
 
 
女の子がベールをつけて、侍者をしている教会もあるんですね。


ベールについては、どんな人間的な理由があっても着用すべきだと思います。

聖パウロが『コリントの人々への第一の手紙』11章10節において「み使いたちの思惑を考えて、頭に力の徴をかぶるべき」と仰っているので、
聖書を素直に読めば、ベール(被り物)は当時の慣習という次元ではなく、目に見えない霊の次元の規定だと解釈できます。

フランシスコ会訳聖書での「被り物は女性の自由の象徴」という解説は個人的にピンと来ないですが、
聖書は神感によって書かれていること、及び聖パウロは第三天まで上げられた体験を持つことから(普通の信徒が知り得ない霊的な体験をしている)、
この「ベールは被るべき」というルールは重要だと思っております。
御ミサでは礼の動作が多くて、ベールがずれてしまう機会が多くても。


実体験においても、求道時代にそれまで通っていた教会ではなく、今の所属教会のミサに試しに与ってみたら、ベール着用率が高かったので「ここの信徒さんは本気度が高い!(当時の感想ママ)」と良い印象を受けました。

また、未信徒の妹をある教会のミサへ連れていき、感想を聞いてみたところ「ベールが(きれいで)良かった」とのコメントでした。



 公教会祈祷文について    ..シャロンの水仙    
      2017/05/21(日) 20:04  No.2637
 
 
> サボテン さま
入手については、祈祷「書」の状態では持っていないとだけお伝えします。

聖ヴィアンネが、聖体拝領をしようとした少女にご聖体を授けずに立ち止まってしまったので、
少女が夢中で心のなかで「信徳唱、望徳唱、愛徳唱」を唱えたところ師は舌の上に聖体を授けた。
その後、少女に「朝の祈りもせずに気を散らし続けて教会に来たのでは、聖体拝領の準備はできていませんよ」とおっしゃった。

…との驚きのエピソードを知って、「『日々の祈り』には載っていない『信徳唱...』は何だろう?」と思い、公教会祈祷文にたどり着きました。
ご聖体に関する祈りが多く収録されているのが良いですね。

この祈祷書を読んではじめて、「聖体拝領後は少なくとも15分位は聖堂において祈るべき」という教えを知りました。

・文語体:
特にある程度の年齢以上の男性は、文語体の方が馴染みやすいのではないかと思います。
口語だと女言葉のように感じられるのではないでしょうか…。
仰る通り、助詞、助動詞が多いと暗記しにくいですね。

・絶版について:
「ミサの祈」での心得、各祈りに於いて「ミサ聖祭はいけにえ」と何度も言及されているのが、「ミサ=会食」の教えに反するので再販されないのだろうか?と思ってしまいます。


受洗前に主任司祭から「ミサ=会食、祭壇=食卓」と教えられましたが、「いけにえ」の言葉は一切出てきませんでした。
また、「ことばの典礼[ことばの食卓]」、「感謝の典礼[感謝の食卓]」等々が書かれた、別の神父様によるミサ典礼解説プリントも配布されました。
(同じく生贄についての言及はどこにもなく、「聖変化」が重要視されていない内容…。)


主任司祭の言動をきっかけに、ある疑問が出てきたので、考えをまとめて後日投稿してみます。
1960-70年代あたりからの聖霊刷新運動と日本における「典礼刷新」との関係性についてです。



 無題    ..猫の手も借りたい    
      2017/05/21(日) 09:24  No.2636
 
 
なんやかんや言っても、人材の不足、養成の不足、熱意の不足、そしてなにより祈りの不足なんでしょう。
人間のレベルでどうこう出来るものではなくなりつつあります。



 女の子の侍者とベール    ..サボテン    
      2017/05/21(日) 00:29  No.2635
 
 
経験したこと

・少女3人がベールを付けて、侍者服を着ている写真を、ある教会のHPで見たことがあります。

・あるお母さんの話から。

 お嬢さんはいつも教会内でベールをかぶっています。教会学校で侍者をするように言われました。ベールをかぶって、侍者の務めをしようと思うと、司祭か指導的な役割の方から注意を受けました。以下、論理的におかしい指導がなされたようです。

「侍者は本来男子がやるものです。→男性はベールをかぶりません。→侍者の務めを果たすときにはベールを外してください。
 →加えて、侍者は、本来は男の子がするものなので、長い髪をしばるとかして、女の子を特徴付けるような髪型は避けてください。」

 その話を聞いて、侍者は本来男の子がするものなので→そこまではOKです。
 だから、ベールは外せ!女の子らしい髪型は避けよ!
 そこまでいうのなら、そもそも、侍者をさせるように言うな、と私は思いました。

 結局、女の子にもさせてやっている、ということでしょうか?

 訳の分からない話、おかしな話は、現在の教会ではどこにでもあることなので、最近はひとつひとつ物申すエネルギーが失せてきています。

・中高年の既婚女性の場合

 中高年の既婚女性で、侍者をやるような人や、聖体奉仕者をする方は、まず、普段からベールを付けられない方なのではないでしょうか?



 シャロンの水仙 様    ..サボテン    
      2017/05/21(日) 00:04  No.2634
 
 
 どうもありがとうございます。この件はこれで十分です!

 朗読が3つということで、今まで疑問に思っていたことの一つが解けました。

 公教会祈祷文は私の宝です。リズム感のある文語調の祈りの文、これこそ日本のカトリックの祈りの原型だと思います。
 また、ラテン語グレゴリオ聖歌の日本語訳がそのままこの「公教会祈祷文」に収録されている例もあります。
 というより、ラテン語の祈りの文の翻訳が、この公教会祈祷文だと言って、ほぼ間違いないと思います。

 シャロンの水仙さん、よく入手されましたね?
 私の場合は、洗礼を受ける前に、いただきました。
 古いものが悪いという人には言わせておけばいいと思います。

 カトリックの教えは普遍的であると教えられています。
 普遍的とは、時代を超えて、場所・土地柄を超えて、一致するということだと思います。
 タイムマシーンに乗って、16世紀にさかのぼり、南半球の教会にいる人と、現在に生きるこの私は、カトリックの教えにおいて一致できるはずなのです。

 現在の教会で、時に、とって付けたように配られる祈りの文、信仰年の祈り、〜の祈り、あのような口語の作文に一時期唱和していても、自然に暗記してしまうことはないでしょう。

 しかし、公教会祈祷文の祈りの文は、親しめば、いつの間にか憶えてしまえる文体になっていると思います。
 助詞と助動詞の使用が簡潔で、重要な単語が記憶に残るようにできています。
 内容に普遍性があります。
 その時々、新しい口語の作文を作らなくても、種々の機会のお祈りがほぼすべて収録されていると思います。 

 価値がわからない方には、わからないのでしょう。価値を見出した者は幸いだと思います。

 ありがとうございました。



  東京カテドラルでの5/13聖母のミサ、女性侍者について    ..シャロンの水仙    
      2017/05/20(土) 23:26  No.2633
 
 
> サボテン さま
・朗読は3箇所でした。黙示録(記憶が正しければ)は見大司教様が朗読されたという記憶があります。

・福音書は、カナの婚姻、神殿でイエズス様を見失われるところではなかったです。
マタイ2章だったような気もしますが、どうにも自信がありません。

・典礼聖歌は、普段の御ミサでよく歌われる曲でした。
典礼聖歌は持っていなく、実はつい最近受洗したばかりなので曲を特定できる知識がありませんが、標準的(?)な選曲だったと思います。


>意見をお聞かせ下さい。 さま
信徒になったばかりの自分が生意気言うようで恐縮ですが、その方の「それは男性側の問題であり、女性は関係ない」という意見は、謙遜心が感じられない、且つ十戒にも反する言動だと思います。

絶版になってしまった『公教会祈祷文』の究明の箇条にも、第六戒、第九戒の部において「慎みを欠きて他人の心を乱す事」という項目が掲載されています。また、世俗の法律にも「幇助」という概念があります。
とは言え、同性からこういう意見を言ったとしても「保守的(悪い意味で)」、「今時古い考え」だと見なされそうですね…。

毎月の集中力が散漫になってしまう期間のときは、侍者の務めを満足に果たせないのでは?(内的態度として)とも思いますが、明け透けな意見なので面と向かって言いにくいですね…。





 


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