聖座忠誠派掲示板
聖母マリアの花園

天 使 祝 詞

めでたし聖寵満ち満てるマリア、主は御身と共にまします。

御身は女のうちにて祝せられ、ご胎内の御子イエズスも祝せられたもう。

天主の御母聖マリア、罪びとなる我らのために、今も臨終のときも祈り給え。アーメン


カトリック信者、カトリックに関心のある方のための掲示板です。

現在の教会を憂える方、戸惑われている方、大歓迎です。


意見交換の場ですので、礼儀と節度ある投稿をお願いします。

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 主の御復活おめでとうございます    ..イエズス・マリア・ヨゼフ    
      2017/04/16(日) 19:10  No.2620
 
 
今年の復活の主日は好天と桜に恵まれた良い一日でした。


 『ミサ典礼書』より 聖金曜日 主の受難 の典礼注記     ..サボテン    
      2017/04/13(木) 07:58  No.2619
 
 
 聖金曜日の典礼は御ミサではありませんが、書かれている典礼注記を記しておきます。

218頁   聖金曜日 主の受難

1、2、3、 省略

4   司祭と助祭は、赤の祭服を着用し、祭壇に着くと一礼して床に伏す。
    それが不適当な所では、ひざまずく。
    そのまま、しばらく沈黙のうちに祈る。

5   その後、司祭は奉仕者とともに席へ行き、
    会衆に向かって手を合わせたまま次の祈りを唱える。

    祈願(「祈りましょう」は唱えない)

    あわれみ深い神よ、
    御子キリストは、あなたの民のために
    ご自分の血によって過越の神秘を定めてくださいました。


 ここまでにしておきます。
 4番に書かれているようになさっていない司祭も日本にはおられます。
 教皇様も教皇様になられた年の初めての聖金曜日にはこの所作をとられず、がっかりしました。刑務所に行かれたその翌日です。でも、その後、立ったまま、軽く会釈をされるやり方はおやめになったと聞いています。 (編集済)



 ミサ典礼書 聖木曜日 主の晩餐の夕べのミサ の典礼注記     ..サボテン    
      2017/04/12(水) 04:06  No.2618
 
 
 聖週間に入りました。
 2017年4月6日付けで、中央協議会HPにおいて、次のようなお知らせが出ました。
 もう一度繰り返し、記します。

https://www.cbcj.catholic.jp/2017/04/06/13620/

>2017/04/06 日本司教団関連/お知らせ/典礼委員会/

>主の晩餐の夕べのミサ中の洗足式について

>聖木曜日の主の晩餐の夕べのミサでは、司牧上勧められる場合に洗足式が行われます。
>この洗足式について、昨年1月6日付で教皇庁典礼秘跡省から「教令」が発表されました。
>これに従い、★現行『ミサ典礼書』213頁の典礼注記8★を以下のように訂正してください。

>(現行)奉仕者は、選ばれた何人かの男の人を、用意した座席へ案内する。
> (新) 奉仕者は、神の民の中から選ばれた人々を、用意した座席へ案内する。

上の★は私が付けたものです。
>これに従い、★現行『ミサ典礼書』213頁の典礼注記8★を以下のように訂正してください。

 明日の聖木曜日、多くの教会ではオリエンス発行の聖週間の典礼の会衆用冊子(薄いクリーム色)や、中央協議会発行の緑色の表紙の冊子を会衆に配り、みなさんは典礼に与られると思いますが、そこには、『ミサ典礼書』に書かれている典礼注記のすべてが書かれていないと思います。

 ミサ典礼書の典礼注記には、ほかにどのようなことが書かれているか、興味のある方はお読みください。

 上のお知らせを読む限り、現行の『ミサ典礼書』の典礼注記を守るように、このようなお知らせを出されたのだと思いますので、8番は守り、他の項目は無視せよとは、日本の司教団はおっしゃらないと思います。

 以下、変更前の文章を記します。8番の前半部分は、変更してお読みください。


211頁  聖木曜日 主の晩さんの夕べのミサ
213頁  洗足式

8  奉仕者は、選ばれた何人かの男の人を、用意した座席へ案内する。それから司祭は(必要ならば祭服を脱いで)一人ひとりの前に行き、奉仕者の助けを借りて足に水を注ぎ、足をふく。

9  その間、次の交唱、または聖書朗読の内容に合った、愛、けんそん、奉仕をあらわす聖歌を歌う。

交唱 一  主は晩さんの席を立ち、たらいに水を入れ、弟子の足を洗い始められた。
      こうして模範を残された。
      (ヨハネ13・4、5、15参照)

交唱 二  主よ、私の足をお洗いになるのですか。
      イエズスは答えて仰せになった。
      「わたしが あなたを洗わなければ、あなたは わたしと関係がなくなる。」

先唱者  主は、シモン・ペトロの もとに来られ、シモンは言った。
会衆   主よ、わたしの足をお洗いになるのですか。

先唱者  わたしのすることは、今は あなたには分からない。あとで分かる。
会衆   主よ、わたしの足をお洗いになるのですか。
     (ヨハネ13・6、7、8)

交唱 三  主と呼ばれ、師と仰がれる わたしは、あなたがたの足を洗った。
      あなたがたも互いに足をあらいなさい。
      (ヨハネ13・14 参照)

交唱 四 五 六  省略

214頁  省略
215頁  同上
216頁  同上

217頁

聖体安置式

17  祈願の後、司祭は祭壇の前に立ったまま香炉に香を入れてからひざまずき、三度聖体に献香する。
   ついで肩掛けを着用し、手に取った聖体容器を覆う。

18  教会堂内を通って、当日のために ふさわしく飾られた小聖堂の安置室まで行列を組んで聖体を運ぶ。

   その際、十字架奉持者が先頭に立ち、また、ろうそくと香も携える。行列中、一同は適当な聖体賛歌を歌う。

19  行列が安置所についた時、司式者は聖体容器を置き、香炉に香を入れてひざまずき、聖体に献香する。その後、安置所の聖ひつのとびらを閉める。



 聖木曜日の典礼中には20番から23番までの典礼注記がありますが、省略します。

 洗足式の小見出しの後に書かれている、交唱一 二 三 を読めば、
洗足式は、主イエズス様が十二人の弟子(使徒)の足を洗われたことを、典礼の中で再現したものであると理解できます。
 異教徒の女性の足を洗うことが、いかにこの典礼文の内容・意図からずれているか、普通の人は理解できると思います。

 典礼注記 17 18 19 には、この典礼で、香を使い、司式者がひざまずき、奉仕者が十字架やろうそくを奉持することが書かれているのですが、日本の教会では、遵守されるのでしょうか? 

 このミサ典礼書は、日本における適応が含まれています。
 あす以降に書きますが、たとえば聖金曜日の信者の十字架礼拝のやり方は、跪く、ではなく、深い礼をするとなっているのです。

 にもかかわらず、聖木曜日と聖金曜日の典礼注記の一部の箇所には、明確に、ひらがなで ひざまずく、という言葉あるのですが…。この部分の変更があるとは、知らされていません。

 よい聖週間を、お過ごしください。
 (編集済)



 通りすがりさん、疑問はごもっともですが    ..異邦人ヨハネ    
      2017/04/11(火) 23:26  No.2617
 
 
サボテンさんの書き込みは不適切ではないと思います。

聖座忠誠派=正統カトリックの信仰に忠実、ということでしょう。

ところが今の教皇様はカトリック信者らしからぬ言動でカトリック信者に困惑を与えています。カトリック教会の分裂寸前にまで行っているかの感があります。司教が司教に、司祭が司祭に対立する時に入ったと思っています。



 ここは聖座忠誠派の掲示板ではなかったですか?    ..通りすがり    
      2017/04/11(火) 22:34  No.2616
 
 
2614の書き込みを見ると、教皇様がやっていることに文句を言っているようにしか見えません。聖座忠誠派の掲示板であるならば、2614はこの掲示板には不適切な書き込みと思います。


 No.2614 洗足式    ..新参者    
      2017/04/11(火) 15:52  No.2615
 
 
「以上に反することはすべて退けられる」と教令にあることは昨年は知りませんでした。昨年はミサの進行係から、足を洗ってもらうように言われましたが、女性は参加するのかどうか確認し、「教皇様は、女性の足を洗っているし、いつくしみという点からは良い、と言っていることも承知している。しかし、女性が出るなら私は断る」と私は言いました。「女性は出ない」と言ってきましたので(引き受ける女性がいなかったということです)、役を引き受けました。今年も同じように対応します。

おかしいと思うことは断ればよいのです。黙って司教様のご指示に従うから、おかしなことが次々に起こるのです。

女性が、スカートで、靴下をとって、他人の男に足を洗ってもらいますか、いかに礼拝儀式の場面でも。こんなことは典礼の「日本における適応」に相応しいでしょうか。イスラムでも日本でも、西欧の教会の歴史でも、こんなことはなかったはずです。足を洗ってもらったのは男性の十二使徒でした。偉大な聖母マリアも足を洗ってもらいませんでした。物知りでもないし調べたわけでもありませんが。
今風に言えば、これはセクハラです。

「神の民」云々という理屈を言っていますが、神の民には男も女もいます。男女の相違と、人種・貧富などの違いは、種類が異なります。男は男として、女は女として洗足式に参加すればよいのです。

なおカトリック中央協議会発行の「別冊 毎日のミサ」2010年3月改訂版第二冊 には「洗足式」(任意)とあるだけです(37頁)。教会備え付けのオリエンス宗教研究所発行の式文には「選ばれた男性「と性別を明示しています。

聖週の典礼は、主の受難から復活への過ぎ越しの形の再現ですから、洗足式も、かつて主がなされたことの再現であるはずです。いつくしみは、別のところで別の方法ですればよいのです。多くの修道者や聖職者たちは、最悪の環境でいつくしみの業をなさっているではありませんか。



  自らの行いを正当化(合法化)するために自らローマ・ミサ典礼書 典礼規則(ルブリカ)を変更する行為    ..サボテン    
      2017/04/11(火) 02:27  No.2614
 
 
 中央協議会のHPに書かれたことを引用します。
以下引用

聖木曜日の主の晩餐の夕べのミサでは、司牧上勧められる場合に洗足式が行われます。
この洗足式について、昨年1月6日付で教皇庁典礼秘跡省から「教令」が発表されました。
これに従い、現行『ミサ典礼書』213頁の典礼注記8を以下のように訂正してください。

(現行)奉仕者は、選ばれた何人かの男の人を、用意した座席へ案内する。
(新) 奉仕者は、神の民の中から選ばれた人々を、用意した座席へ案内する。

引用終わり。

 ミサ典礼書のコピーを持っていますので、この部分を確認しました。
 確かに、洗足式 の小見出しの後、(現行)8番のルブリカ(朱書き:典礼規則)が書かれています。

 このミサ典礼書の出版は1975年とあります。旧ミサ、1950年代のトリエントミサにおいても洗足式はありますから、少なくとも40年以上、この典礼規則は有効であり、世界中の司牧者にとって守るべき規則であったのでしょう。

 ところが、数年前、教皇様自身がこの規則を破られた…。その映像が全世界に放映された…。よろしくないとの批判がローマにも届いた…。

 教皇様は自分の行動を今後も変える気はない、しかし、説明しても言いわけしても、規則違反をしているという抗議に、決して勝つことはできない。

 これからも教皇様としてこのことをやり続けるには、ミサ典礼書に書かれている規則の変更をしてしまえば、少なくともルブリカ違反であるという批判を受けることはない。典礼規則を変えてしまおう、そして、典礼秘跡省には、その件に関して、教令を出させる…。

以下教令
https://www.cbcj.catholic.jp/2017/04/06/13612/

 最後の一文がなんともいえません。

>以上に反することはすべて退けられる。

 この規則の変更はおかしい、と誰かが言ったとして、その意見はすべて退けられる、ということです。

 私にこの役目を頼んでくる人はいないでしょうが、もし、私に声がかかれば、断ります。
 問題は断れない人です。また、地区から一人女性を出せなどという人はいないとしても、例えば教会学校などで、女子児童や女子生徒に声をかけることは十分考えられます。
 もし、私の娘が教会学校でお世話になっているとして、私の娘に声がかかれば、親として絶対にそのようなことはさせませんが、そういう態度をとれないおとなしい親御さんも多いでしょう!

 教会で決めたことはすべて正しいことであると思っている人が多い世界です。

 聖なる典礼の中で、女性が靴下を脱いで司祭に足を洗ってもらうなど、私には悪夢としか思えません。

 それから、洗礼を受けていないイスラムの少女になされたということも、理解を超えます。この対象者に関しても、今後、教令やルブリカ改訂でしのぐつもりでしょうか。それとも、さすがの典礼秘跡省も、そこまでは言及できなかったのでしょうか。

 日本の教会においても、既成事実を作って、やがては教会文書でそのことを合法化するということは過去にもありました。こうやって、教会を自分の思うとおりに変えていきたい人たちがいるということですね。



 洗足式    ..新参者    
      2017/04/08(土) 16:09  No.2612
 
 
https://www.cbcj.catholic.jp/2017/04/06/13620/をご覧ください。カトリック中央協議会のホームペイジです。聖木曜日の洗足式のことが出ています。ヴァチカンの指示・認可(?)で、女性が洗足式に参加できることになりました。
昨年から、私の教会では、できることになっていますし(一人も参加しませんでしたが)、フランシスコ教皇は、女性の足、しかも、イスラムの少女の足を洗っています。いかに事前に本人の承諾を得ているとはいえ、刑務所と言う<強制性>がある場所では、まずいのでは。また肌を異性に見せることさえもしないイスラムの女性の足を洗うのはイスラムへの政治悪影響があります。

女性の洗足をする理由は、洗足は、主のなさったことの再現ではなく、いつくしみという観点からなされるべきだと教皇自らが仰ったと私は承知しています。それなら、女性司祭も、カトリック以外の人の聖体拝領も、して良いことになります。どうなのでしょうか、論理の飛躍でしょうか、心配のしすぎでしょうか。



 ファチマの福者フランシスコとヤシンタ、列聖へ前進    ..沙良    
      2017/04/01(土) 21:05  No.2611
 
 
御出現から100年、もう一度ファチマのメッセージを思い返す良い機会としたいものです。


 聖ヨゼフの月    ..ゲオルギウス    
      2017/03/14(火) 23:19  No.2610
 
 
過去に既出の話題かもしれませんが、やはり忘れてはならない重要なことだと思いますので、ご紹介しておきます。

聖ヨゼフの月には、カシアノ修道士は忘れない。隠れた聖者
http://tomaozaki.blogspot.jp/2013/03/blog-post_3.html

http://tomaozaki.blogspot.jp/2015/03/blog-post_20.html





 


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