受け継がれてきたものを次世代に
聖母マリアの花園

天 使 祝 詞

めでたし聖寵満ち満てるマリア、主は御身と共にまします。

御身は女のうちにて祝せられ、ご胎内の御子イエズスも祝せられたもう。

天主の御母聖マリア、罪びとなる我らのために、今も臨終のときも祈り給え。アーメン


カトリック信者、カトリックに関心のある方のための掲示板です。

現在の教会を憂える方、戸惑われている方、大歓迎です。


意見交換の場ですので、礼儀と節度ある投稿をお願いします。

虚偽やふさわしくない投稿は、管理人の判断で削除します。 管理人:maggie




携帯用 過去ログ/検索
名前  
Mail   URL
題名色
文字色
タイトル   簡単タグ入力
添付  
フォームに保存  プレビュー       削除キー(半角英数字) 


 ネオの神学校の話が見直しとなりました    ..マリア    
      2019/07/09(火) 23:41  No.2819
 
 
新求道共同体の道の東京の神学校の話が遂に見直しとなりました。
高松教区で大きな不和と疑心暗鬼を生んだあの団体の目論見に待ったがかかった模様です。
まずは一安心です。

http://tokyo.catholic.jp/info/diocese/35894/



 そうですよね    ..使徒ヨハネ    
      2019/05/18(土) 21:50  No.2818
 
 
札幌教区では人事異動により、5月から主任司祭の受け持ち教会が3~5になりました。
司祭様は大変です。
とはいいつつ、助任司祭や協力司祭がいるので回っているのかと思います、
信頼出来る司祭様はいませんが、ご聖体を与えてくださるのは司祭様なので感謝しております。
札幌教区では司祭様は寛容な方が多い?ので、ひざまづきを拒否されたり、口で聖体を受けるのを拒否されたりしません。
ちょっとひっかかっているのは、受け持ち教会が増えたのを理由に信者と司祭様との距離が遠退くことです。
忙しいのを理由に祈りが免除されないように、司祭様も忙しいのを理由に信者との関わりを免除されるということはないのだと思います。
司祭様の仕事を理解していないから、こうして書いているのかもしれません。もしかしたらいろいろな行事のために準備や段取りをしているのかもしれません。
イエズス様は宣教するために、自ら人々の中に出かけていかれました。
今、カトリック者の心の中は揺れていると思います。
自分が思う神様への礼拝がミサの中では否定されているからです。
しかし、教会はそれを曖昧にしている。
絶対にだめとすべての司祭さまがいうわけではないからです。
カトリック教会はどこに向かっているのだろう。と多くのカトリック者は感じているはずです。
司祭様が信者にちゃんと信仰を伝えていなかったこと、カトリックの親が子供たちに信仰を伝えていなかったこと、代父母も同じで、代父母の役割が形骸化していること、因みに私には代父母はあたえられませんでした。最後にカトリック者の祈り、犠牲、償いが少なかったことです。
全てはカトリックの聖職者である司祭、修道者、信者に責任があるのです。
今、訳のわからないネオカテのように信者を増やすのではなく、私は今いる既存の信者の信仰を深め、今現在、教会に来ていないボンクリや幽霊信者を教会に呼び戻す活動をしてもいいかと思います。
そちらの方が、洗礼を授ける手間がいらないのでいいのかと思います。召し出すのは、信者ではなく、神様であると思います。
私達が人を召し出すのにはよほど清く、正しい心の持ち主でないと人はカトリック教会の信者にはならないでしょう。
カトリックの特長であるマリア様をあまりにも語らなさすぎます。
聖マザーテレサは、人々を回心させたのは祈りが多かったと言われています。
宣教によってどれだけの人を教会に入れることが出来るかは疑問です。
それならば、マリア様を通してイエズス様に祈った方がよほど実りあるものとなることでしょうか。
私は一度だけ聖体を手で受けなさいと言われたことがあります。
私は司祭の言葉に従順に従いました。
神様は司祭への従順を好まれます。
だから、もし、手への聖体拝領を言われたなら従えばよいのです。それは、私達の罪ではありません。それは、司祭と神様の問題になると思うからです。
もし、それが心に引っかかるなら、霊的な聖体拝領をしてもいいし、また、違う教会に行くのも考えたらいいのです。

トリエントミサも確かに良いものだとは思いますが、通常ミサが恵みの少ないものだとは思いません。
北海道ではそういうミサをしている所がないからです、
かといってやっている東京などに行くこともできません。
経済的、身体的、スケジュール的に無理だからです。

私がカトリック者になる前にはカトリック教会は「苦しむ者の逃れの場、信者の憩いの場」と聞かされていました。

今はどうでしょう。
ミサに行く度に、聖変化でひざまずく度にドキドキし、聖体拝領にいく度にドキドキしています、

日々の仕事で戦い疲れたあとに週末を迎えてミサに行ったところで逃れの場、憩いの場という感覚はありません。

逃れの場は聖体の中にいらっしゃるイエズス様であり、母であるマリア様です。

私のような信者は、実際少なくないと感じております。



 今は難しい時    ..異邦人ヨハネ    
      2019/05/11(土) 01:19  No.2817
 
 
普通のカトリック信者でいたいだけなのに、それが難しいのが今です。神父様も司教様も無条件に信用することはできません。残念ながら。

洗礼を受けて間もない方ができることは公教要理を自学自習することです。昔は洗礼前に公教要理を教えていましたが、今はそうではないようです、だから、知るべきことを知らない人がいる。公教要理以前にお作法を知らない人もいる。聖堂内でおしゃべりしない、聖堂内で飲食しない、聖体拝領の1時間前からは水と薬以外は口にしない、などなど。今は聖堂でミサの前におしゃべりする人、ミサの少し前に聖堂に来てペットボトルのお茶(水ではなく多分お茶)を飲む人がいます。

ミサで跪かない、聖体拝領は手でなどは日本の司教様たちが決めたことですから、心ある司祭様も何も言えないでしょう。私たちにできることは自分の信念に従って行動することです。ミサで跪くべき時は跪く、聖体拝領は舌で、など。他人の目が気になるので少々勇気がいりますが、慣れればどうということありません。外人の信者は跪く人、結構いますね。

ミサ中、主の祈りを私は文語のを口パクで唱えています。二ケア信条も一・聖・公・使徒継承の教会のところは口パクです。そのうちに、神父様から咎められるかもしれませんが、それまでは今のまま続けるつもりです。自分をだましておかしな祈りを口することはできませんから。今年67歳になる年寄りなので、怖いことはありません。旧約聖書に、ブタ肉を食べるように命令され、仲間から、食べなくてもいいから食べる真似だけしてごまかせばいいじゃないかと言われた老人が、それはできないと言ってブタ肉を食べず殺されていくという記事があったように思いますが、私も同じ気持ちです。

人ではなく神に従うことが大切、と12使徒が神殿で祭司たちに答えていましたが、今もそうなのでしょう。

マギーさん、親の介護は本当に大変です。義父は96歳で死因は老衰でしたが、誤嚥性肺炎で入院し、体力を使い果たして亡くなったというのが実態です。痰の吸引は本当に大変でした。とても苦しいが、しないといけないし。認知症も出てきて、本人はなぜ吸引するのか分かっていないし。死んでいくものと割り切って寄り添うしかないのかもしれません。



 Re.実名と建前 匿名と本音    ...    
      2019/04/07(日) 02:36  No.2816
 
 
maggie さんへ

ご理解ください。



ロゴイさんへ

>当方、所属教会には、良い神父と言える人が見当たらないんです。

残念なことですね。所属教会におられなければ、所属教会の外でさがすことができますように!

>信徒さん同志の繋がりもゆるく(この点良い面でもあります。)

教会の人間関係は、適度な距離を保つのがいいような気がします。もちろん、真の友人ができれば別ですが、私でさえ同年代は少なく、ゆるやかなのが無難ですね。

>上部から降りてくる指令に従順で無批判であり、
>正平協の運動に加担しておられる年配の方が目立ちます。

それは困りますね。おそらく私よりも上の年代だと思いますが、政治運動には、私はハッキリノーと言っています。最近の正平協は、露骨に現政権批判をしますね。これは現実の政治権力を引きずり下ろして、別の勢力に政治権力を与えようとする、まさに「政局」に口を出していることだと思います。

バックに外部の団体が存在するにしても、司教の冠を付ける方が、このような政治的な態度をとることは私は許容できません。署名が来ても署名しない。集まりに誘われても行かない。けじめは大事だと思います。

>カトリック教会の長年の天敵である、某結社について、”慈善活動をしているから”という理由で、
>それがカモフラージュである可能性を一切排除し、
>結果だけで肯定する方が複数おられて驚かされました。

この考え方も、非常に問題ですね。
ある一点が一致すれば、大同団結しようとする・・・。
前東京大司教様が、私達は共産党のこの考え方に賛同します、と言われました。
司教がこんなことを平気で言っているから、慈善活動している人たちなら善い人だと思うようになるのでしょうね。
カトリック教会の教義(ドグマ)があり、我々はカトリック教会に信仰を求め、カトリック教会の教義を信じる者ですから、カモフラージュを見抜けずに、他団体を堂々と認めるようなことは避けるべきですね。

困難な時代であると思います。いつの時代もそうなのでしょう。

ロゴイさんが、善き牧者、信頼できる現実の指導者に出会われるように、お祈りします。
日本の教会のためにがんばってください。
 (編集済)



 実名と建前 匿名と本音    ..ロゴイ    
      2019/03/20(水) 16:45  No.2815
 
 

サボテンさん 丁寧なご意見に感謝します。
エキュメニカルの話、捉え方はおっしゃる通リだと思います。
当方、所属教会には、良い神父と言える人が見当たらないんです。
信徒さん同志の繋がりもゆるく(この点良い面でもあります。)
善良である故でしょうけども、上部から降りてくる指令に従順で無批判であり、
正平協の運動に加担しておられる年配の方が目立ちます。信徒として先輩にあたる方に抗うことは日本の風土的にも困難であり、それなりの信徒数を抱える教区として運営方針に問題を感じております。
FBに関してちゃんとした方もそれなりにおられます。
ただ実名ベースのSNSは本音を隠し、綺麗ごとや慣れ合いに陥りやすいものです。
プロテスタントのメンバーは多数いますが、言い方が悪いですが彼らは自分の宣教に利用しようという情報収集が目的のようにみうけられます。
ディスカッションで積極的に書き込まれる方は自称カトリック信者の方々です。
カトリック教会の長年の天敵である、某結社について、”慈善活動をしているから”という理由で、それがカモフラージュである可能性を一切排除し、結果だけで肯定する方が複数おらて驚かされました。



 Facebook のカトリックのグループ?    ...    
      2019/03/20(水) 15:23  No.2814
 
 
ロゴイさんへ

ロゴイさんがカトリック信者で、本当に教会の現状を憂いておられるのなら、信頼できる現実の司祭を見つけて話してみられるのが第一歩ではないでしょうか。

信者どうしの議論をしても、〜という気持ちもわかる、結局教皇様を信頼して・・・、お祈りのうちに進みましょう・・・、ということになるのでしょうね。



もう一つ、感覚的と書かれていますが、現在の教会は「理性」よりも感覚や感情で物事が運ぶように私も感じています。これは、現在の聖職者の価値判断の基準が「理性」よりも感覚や感情重視になっていることが一番大きな原因だと思います。

カトリックグループという顔の見えないFBグループで、毎週日曜日に御ミサに与っているのは何パーセントおられるのだろうと思いました。

さらに「エキュメニカル」という言葉を肯定的に使っている方には、カトリック信者は本当に自分の信仰が揺るがせられないように、壊されないように、破壊されないように、祈らなければならないと思っています。

プロテスタントの方でカトリック教会に近づく多くの方は、カトリック教会の信仰を求めて、カトリック教会の門をたたかれた方です。昔からこのような方に、カトリック教会は改宗への導きをされてきました。これは正しいことです。

しかし、そうではなく、ある司祭を尊敬している、と書き、「エキュメニカル」を目ざす、と書き、一方で、カトリック教会には辟易している、と書き、カトリック批判を続けられる自称プロテスタントの方もあります。辟易されているのなら、どうぞお離れください、お幸せに、と申し上げたいです。

この方にとって「エキュメニカル」とは、自分(わたくし)の最善と思う様々なもの(思想や祈りや行動規範)の集まりのようです。

これは、カトリック教会の教える「エキュメニズム」とは、全く異なる考え方です。

カトリック教会の「エキュメニズム」は、

カトリック教会が「常に、 いつも   センペル  semper」教えてきた事柄に
一致すること、矛盾しないこと、

と書かれていますから、
自称プロテスタントの牧師さんや無神論者が自由に発言することが「エキュメニズム」ではないのです。
 (編集済)



 無題    ..ロゴイ    
      2019/03/19(火) 14:55  No.2813
 
 
FBのカトリックのグループは「綺麗ごと」ばかりで、
現状を憂うもの、論争的なものはすぐ削除されているようです。
結局「事なかれ主義」の寛容という名の偽善-見本市を見せられはぐらかされているというか。
教会ツーリズムのような感覚的な書き込みばかりで、
本質を揺るがす中共への迎合や性犯罪の議論を避けているように思います。
プロテスタント牧師や無神論者も参加していますし、管理者がエキュメニカルそのような意図なんでしょうか。



 本当の話の話をFacebookに書いた!    ..智恵人格高校2年    
      2019/03/19(火) 00:21  No.2812
 
 
こんばんは。
あと、少ししたら、元気になり動かないとならない。
精神疾患で、本当の自分は、消え、本当の自分でだけど、年齢が3歳から19歳?ぐらいまでの自分達がいる。
この病になったのは、知的障害(発達障害)の二次障害からとわかった。
その後、また、病気になるなんて思わなかった。
難病なんて、悲しい、悔しい。
でも、私達は、これが個性だと生きていく。
あと、また、精神疾患、発達障害、慢性疼痛、他の病の人を助けないとならない。
O神父様、待ちに待った。
福岡にやっと神様が戻してくれた。
今の教区には、聖職者はいてもいない。
たくさんは、望んでないけれど、前みたいに、信者に寄り添う聖職者、修道者はいない。
消えた。
だから、もう、一度、昔の福岡教区に戻したい。
後悔しない様に、O神父様と、A神父様と、前の様に戻したい。
貴方の教区は、大丈夫ですか?
私達の教区は、不安だらけです。



 無題    ..のんのこ    
      2019/03/15(金) 20:40  No.2811
 
 
ちえさん、ごぶさたしてます。
韓国に迎合するような教会の反日的談話に私も激怒しました。
ただでさえ反・反日ムードが沸点に達しているのにこれではカトリックが白眼視されても仕方ありますまい。嘆かわしい限りです。

ところでちえさん、福岡での暮らしはいかがですか?
福岡といえば私の長崎在住時にたまーに車を飛ばして今村教会を参拝したり、特急かもめに乗って大名教会を参拝したこと、他にも太宰府や筥崎宮(福岡はカテドラル級の神社が多い)などを参拝したことなどが思い出されます。
今では元日以外に福岡を訪れることはありませんが、年2回の里帰りで福岡を通過はしますし、そのたびにちえさんのことを思い出しますよ。
最後になりますが、ちえさんと同苦同悲してくれる方が教会で見つかることをお祈りします。



 無題    ..智恵人格より専門学生1年2年高校1年2年3年    
      2019/03/14(木) 11:07  No.2810
 
 
ツッイター高須クリニックさんの先生は、怒りを表に出され、ツッイターに記事出されてましたが、内容は、日本が韓国戦略したなど?おかしな習いをされているだと感じました。併合と植民地とはまた違いますし、勝谷司教様は「日本のカトリック教会は、植民地時代の韓国カトリック教会に大きく関与したし、日本の侵略戦争への協力を信者に促したことについても責任がある」?何処からの答えなのかをインタビューされる時は、ちゃんと述べて欲しいものです。ソース無く、ヘッチャラで話はして欲しくないです。戦争は悪い事ですが、喧嘩両成敗とも言えます。日本カトリック信者にも、尋ねてから、発言されなかったが悲しいです。Facebookにも、記事だけを投稿したら、それは、勝手に削除されてました。だから、ウザいと思われ、信者減るし、増えないし、ちゃんとした仕事をして欲しいものです。まずは、祈りではないのでしょうか?

🗞日本カトリック教会、日帝の侵略を反省する談話文を発表

日本カトリック正義と平和協議会会長の勝谷太治司教が過去の歴史を反省して韓日両国の平和を韓日カトリック教徒が共に作っていこうと呼びかける談話を発表した。

12日、韓国天主教主教会議が公開した談話文「3・1独立運動100周年を迎えて」で、勝谷司教は「今年の3月1日は、私たち日本のカトリック教会にとっても、歴史を直視し、朝鮮半島(韓半島)を初めとするアジアの人々と平和をいかに築くのかを問い直すべき日」としながら「日本のカトリック教会は、植民地時代の韓国カトリック教会に大きく関与したし、日本の侵略戦争への協力を信者に促したことについても責任がある」とした。

そして「1945年に植民地から解放された後の朝鮮戦争(韓国戦争)と南北分断の根源にも、明治以来の日本の侵略政策という歴史がある」と指摘した。続いて「現在また、政治において日韓政府の間は緊張している」とし「私たち日韓のカトリック者は、同じ平和の福音のもとに集うイエス・キリストの弟子・兄弟姉妹として、日本の過去の加害の歴史を見つめながら、文化・宗教など市民によるさまざまな交流を深めていくことがたいせつ」と強調した。
※引用先
中央日報日本語版
Yahoo!ニュース
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190313-00000003-cnippou-kr





 


RSS     + Powered By 21style +